断捨離

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このブログは、2005年から書き溜めていたもので、弊社のホームページを新設した2017年から全ての記事を少しづつ見直しつつリライトしています。この記事・「断捨離」の元タイトルは「生前贈与」で、偶然にも煩悩の数と同じ108個目でした(笑)。因みに、煩悩には大きく分けて3つあり、必要以上に欲しがるのが貪欲で、執着して思い通りにならない対象を憎むのが瞋恚であって、無知で愚かな考え方にとらわれるのが愚痴なのだそうです。それ故に日々、ああでもない、こうでもないと、寄せては返す波のように、このブログを果てしなく「上書き」し続けているのでしょう。

LPレコードやオーディオ機器があった頃の自宅リビング(2010)

自分が断捨離を行うべきと感じたのは、身の回りの有り様が雑然となっていると思い至った2011年頃でした。まずは、自分の暮らしに音楽が欠かせないアイテム・ LPレコード約900枚とオーディオ機器一式を造形作家の野村直城さんに無償で譲った事が最初の一歩でした。その時、それらを売却して利益を得ようとしなかったのも幸いしたのか、経済的に余裕があった時期も良かったのか、その結末に何ほどの渇望感を生じなかったのでした。振り返れば、音楽関係の雑誌などを購読していた頃の自分は、音楽業界の思惑にまんまと乗せられて、次々と新しい音源や高級なオーディオ機器を欲していたように思います。まあ、その流れに上手く乗って歓楽に興じ続ける事も楽しかったと思うのですが、断捨離に気づいてそちらに意識が向かった時は、貪欲という煩悩に支配されたくないという感覚が僅かに上回ったと記憶しています。

画像左:2010年のリビング。画像右:2013年のリビング

断捨離に至る理由の一つに経済的理由で自分が望む最高のオーディオ機器を揃える事が出来なかったという思いがあるのですが、学生時代からジャズをメインに30年ほど音楽を楽しんできました。その途上では、人生の救いとなったアーティストとの出会いも幾つもあったものの、最近はライブに足を運ぶ欲求も減衰している始末(爆)。振り返れば、自宅への来客が少なくなった2011年頃、埃をかぶっていたオーク製のYチェア6点とスーパーレジェーラなどを友人に譲った以降も「手持ちの備品」で必要十分な暮らしを継続中。過去のグッズの所有がどれだけ過剰だったのかを反省している日々です 😅

物の釣り合いを保って己の地歩を失わず他人に譲る事が浮世芝居の成功の秘訣である。我々は、己の役を立派に勤めるためには、その芝居全体を知っていなければならぬ。個人を考えるために全体を考えることを忘れてはならない。この事を老子は、「虚」という得意の隠喩で説明している。物の真に肝要なところは、ただ「虚」にのみ存すると彼は主張した。例えば室の本質は、屋根と壁に囲まれた空虚なところに見いだす事が出来るのであって屋根や壁そのものにはない。水差しの役に立つところは水を注ぎ込むことの出来る空所にあって、その形状や製品の如何には存しない。「虚」は全てのものを含有するから万能である。「虚」においてのみ運動が可能になる。己を「虚」にして他を自由に入らすことのできる人は、全ての立場を自由に行動することが出来るようになるであろう。全体は常に部分を支配することが出来るのである。

茶の本(岡倉覚三
BRUTUS(創刊号〜100号)

こちらの長年愛読していた雑誌・BRUTUS (創刊号〜200号)は、同誌編集長の西田善太さんに引き取っていただきました。

右上の月刊誌・JAPAN INTERIOR DESIGN(1985年に廃刊)は、造形作家の佐藤史仁さんに。その他、雑誌や文庫本なども親しい作家さんに無償で譲渡。画像は無いのですが、建築雑誌の新建築、SD、都市住宅など約300冊は、従兄弟の建築家に譲渡しました 😅

次に処分したのが、食器やカトラリー。そして最後は、クローゼットが終の住処になっていた現代アートのコレクションでした。自分が求めている暮らしは、ミニマリスト的なものではなく、災害時にも対応出来る必要十分な装備と備蓄のあるスタイル。「断捨離」とは、健全な思考による身の回りの見極めでしょう。是非に及ばず 🤣

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