古い漁具

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アイキャッチ画像は、地元の漁師から譲って貰った土師器の風合いを持つ素焼きの漁具・ハゼ壺。胴部分の曲面の脹らみや穴の形状に民芸的な趣もあり数点コレクションしています。先日、倉敷民藝館に19世紀・江戸時代のハゼ壺が展示(明治時代の回船問屋の建物を復元した資料館・むかし下津井回船問屋にも)されている事を知り記事にしてみました。

ハゼ壺は、海岸の浅瀬に「壺はえ縄漁法」の要領で仕掛けておき、潮の頃合いを見計らって引き上げる。その際、船の上に大きなタマ網を置いておいて、その上から壺の中に入っている獲物を海水と共に排出して捕獲するのですが、時にはイイダコやメバルなどが入っていて漁師を喜ばせたという。横に開いている丸い穴は、海面より引き上げる時に海水が抜けて中の獲物を逃げさせない工夫。マハゼがつがいで入る習性に着目し上部に2つ開けた穴も、結果的に、一方の穴から空気が入る排水性、ロープの結び易さ、海底での座りに配慮した形状となって上手く完成形になっている。

1970年代までは瀬戸内海で盛んに使われていたようですが、河口域の乱開発によりマハゼの姿が急速に消えてしまい、この漁法も廃れ、これらの壺は遺棄されてしまった。

左:ハゼ壺@倉敷民藝館(2016) 右:ハゼ壺@犬島(2010)

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

企画展:羽島焼
    小河原虎吉の仕事
会 期:2023年12月8日(金)~2024年12月1日(日)
    10:00〜17:00
入館料:1,200円(一般)
会 場:倉敷民藝館
    倉敷市中央1-4-11
    086-422-1637

羽島焼は、1946年に小河原虎吉(1902~1972)によって、現在の倉敷市羽島に開窯されました。虎吉没後は、その三女・和子と夫の勝康、さらに四女・常美により継承されましたが、2022年末に惜しまれながら窯を閉じました。

小河原虎吉は、15歳の頃から西山と甲山の2つの窯で旺盛な生産を行った酒津焼に従事し、その轆轤技は、 酒津焼振興に尽力した、後の人間国宝・近藤悠三に「陶器の轆轤師として小河原さんほどの使い手に出会ったことがない」 と言わしめたと伝わります。その技を培ったのは、人々が日々の暮らしに用いる甕から湯呑まで大小諸々の器形をこなす長年の修行でした。まさに無名の職人に徹し、普段使いの実用品を作り続けるその姿勢は、民藝の在り方を体現する存在でした。

1930年を過ぎる頃から 濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、そして柳宗悦と民藝運動を主導した人々が倉敷をしばしば訪れ、 その工芸品制作を強く後押しする中で、小河原の存在は注目を集めることとなります。そして新たな地場産品創出の機運の高まりの中で、独立して羽島焼として窯を構えることとなったのです。

展では、小河原家所蔵の作品に、倉敷民藝館所蔵作を加えた約80点により、小河原虎吉の活動を主に、羽島焼の足跡を紹介いたします。

むかし下津井回船問屋(2011)

ご案内をいただきました! 🤣

ライブ:春の演奏会(終了)
    林 和彦(篠笛)
日 時:2024年3月3日(日)
    15:00〜
入場料:無料
会 場:むかし下津井回船問屋 中庭
    岡山県倉敷市下津井1-7-23
    086-479-7890

小型の蛸壺や土垂

こちらも同じ漁師から譲って貰ったイイダコ(飯蛸)を捕獲する小型のタコ壺や漁網を沈めるための土垂(どすい・別名:イワ)。素焼き製で長さ5〜12cm、紐(クモ)を通すための孔や凹みがある。この種のものは、縄文・弥生時代の遺跡からも多く出土していますが、これは近年のもの。海底を長年引き回され、肌がなかなか良い景色になっています。土垂は、茶事の蓋置きとしても人気があると聞きました。

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