アイキャッチ画像は、地元の漁師から譲って貰った土師器の風合いを持つ素焼きの漁具・ハゼ壺。胴部分の曲面の脹らみや穴の形状に民芸的な趣もあり数点コレクションしています。先日、倉敷民藝館に19世紀・江戸時代のハゼ壺が展示(明治時代の回船問屋の建物を復元した資料館・むかし下津井回船問屋にも)されている事を知り記事にしてみました。
ハゼ壺は、海岸の浅瀬に「壺はえ縄漁法」の要領で仕掛けておき、潮の頃合いを見計らって引き上げる。その際、船の上に大きなタマ網を置いておいて、その上から壺の中に入っている獲物を海水と共に排出して捕獲するのですが、時にはイイダコやメバルなどが入っていて漁師を喜ばせたという。横に開いている丸い穴は、海面より引き上げる時に海水が抜けて中の獲物を逃げさせない工夫。マハゼがつがいで入る習性に着目し上部に2つ開けた穴も、結果的に、一方の穴から空気が入る排水性、ロープの結び易さ、海底での座りに配慮した形状となって上手く完成形になっている。
1970年代までは瀬戸内海で盛んに使われていたようですが、河口域の乱開発によりマハゼの姿が急速に消えてしまい、この漁法も廃れ、これらの壺は遺棄されてしまった。
NEWS! ご案内をいただきました 🤣
特別展:柚木沙弥郎と武内晴二郎
会 期:2024年11月6日(水)~2025年3月23日(日)
10:00〜17:00
入館料:1,200円(一般)
会 場:倉敷民藝館
倉敷市中央1-4-11
086-422-1637
柚木沙弥郎(1922〜2024)は東京帝国大学(現・東京大学)にて美術史を学び、戦後の一時期就職した大原美術館で芹沢銈介が手がけたカレンダーに出会い、型染めに関心を持ちます。当時、大原美術館館長の武内潔真(1888〜1981)は柚木を自身の家に招き、柳 宗悦(1889〜1961)の思想を教え、民藝の世界へと誘いました。その後、染色、版画、絵本、立体を制作する染色工芸作家として活躍します。
柚木が武内家で出会ったのが、武内晴二郎(1921〜1979)でした。晴二郎は潔真の次男で、型物のスリップウェア、練上、型押しの器を制作する陶工です。父・潔真の影響で幼いころから民藝の世界に親しみ、多くの工芸品に触れていました。岡山県民藝協会が行った羽島窯の発足に携わりながら、自身も陶芸に没頭し、1960年、倉敷市酒津に酒津堤窯を築きました。2人は1歳違いでしたが良き友人関係にあり、初対面の日からすぐに親しくなり、民藝を理解する者同士、互いに切磋琢磨し合いました。
本展では柚木の現存する最初期の仕事である『近県民芸分布図』と、確認のきっかけとなった書簡(個人蔵)を主に、1957年の型染カレンダーや1960~70年代の型染布や帯地、倉敷民藝館のためのロゴや名品図録表紙絵の原画、そして武内が同時期に制作した大皿を、合わせて22点展示予定です。
ご案内をいただきました! 🤣
催し物:土曜夜市(終了)
日 時:2024年7月27日(土)
15:00〜19:00
入場料:無料
会 場:むかし下津井回船問屋 中庭
岡山県倉敷市下津井1-7-23
086-479-7890
ヨーヨー釣り、くじ引き、焼きそば、牛串、かき氷、大人気のところてん、お楽しみがいっぱい。
こちらも同じ漁師から譲って貰ったイイダコ(飯蛸)を捕獲する小型のタコ壺や漁網を沈めるための土垂(どすい・別名:イワ)。素焼き製で長さ5〜12cm、紐(クモ)を通すための孔や凹みがある。この種のものは、縄文・弥生時代の遺跡からも多く出土していますが、これは近年のもの。海底を長年引き回され、肌がなかなか良い景色になっています。土垂は、茶事の蓋置きとしても人気があると聞きました。