アイキャッチ画像は、地元の漁師から譲って貰った土師器の風合いを持つ素焼きの漁具・ハゼ壺。胴部分の曲面の脹らみや穴の形状に民芸的な趣もあり数点コレクションしています。先日、倉敷民藝館に19世紀・江戸時代のハゼ壺が展示(明治時代の回船問屋の建物を復元した資料館・むかし下津井回船問屋にも)されている事を知り記事にしてみました。
ハゼ壺は、海岸の浅瀬に「壺はえ縄漁法」の要領で仕掛けておき、潮の頃合いを見計らって引き上げる。その際、船の上に大きなタマ網を置いておいて、その上から壺の中に入っている獲物を海水と共に排出して捕獲するのですが、時にはイイダコやメバルなどが入っていて漁師を喜ばせたという。横に開いている丸い穴は、海面より引き上げる時に海水が抜けて中の獲物を逃げさせない工夫。マハゼがつがいで入る習性に着目し上部に2つ開けた穴も、結果的に、一方の穴から空気が入る排水性、ロープの結び易さ、海底での座りに配慮した形状となって上手く完成形になっている。
1970年代までは瀬戸内海で盛んに使われていたようですが、河口域の乱開発によりマハゼの姿が急速に消えてしまい、この漁法も廃れ、これらの壺は遺棄されてしまった。

NEWS! ご案内をいただきました 🤣
企画展:倉敷のはなむしろ
会 期:2025年3月25日(火)~9月7日(日)
10:00〜17:00
入館料:1,200円(一般)
会 場:倉敷民藝館
倉敷市中央1-4-11
086-422-1637
はなむしろは「花ござ」「織込花莚(おりこみかえん)」「花むしろ」とも言われ、イ草を原材料とした美しく彩られた敷物です。
岡山県は、かつて日本におけるイ草の一大産地でした。明治以降の一時期は、錦莞莚などの高級品を主体にイ草製品は海外へも盛んに輸出されていました。しかしながら、世界情勢や生活スタイルの変化もあり、次第に生産量が減少していたところ、1930年代以降、芹沢銈介など民藝運動の関係者の助力により再び復興を遂げました。
具体的には、1944年に、岡山県第一経済部長であった山口泉の依頼により、芹沢銈介、そして外村吉之介が、倉敷市西阿知に数日間滞在して、芹沢は三宅松三郎に図案指導を、外村は柄の試し織りの指導を行いました。さらに1955年に、岡山県民藝協会指導下で、はなむしろや畳表を製作することを目的に、倉敷はなむしろ株式会社(現在は廃業)が設立され、1948年に開館した倉敷民藝館の初代館長となった外村が図案の指導を行いました。
本展では、倉敷はなむしろ株式会社の1960年代に製作されたはなむしろ15点を中心に、三宅松三郎商店の芹沢デザイン、外村デザインのはなむしろを一同に展示予定です。倉敷のはなむしろの魅力をご堪能頂けますと幸いです。

ご案内をいただきました! 🤣
催し物:第35回 魚島フェスティバル
日 時:2025年5月11日(日)
9:00〜15:00
入場料:無料
会 場:むかし下津井回船問屋 中庭
岡山県倉敷市下津井1-7-23
086-479-7890
メイン会場のむかし下津井回船問屋をはじめ、下津井漁協などで新鮮な魚介類の販売や飲食店の出店、魚のすくい取りなどが行われます。キッズダンスや下津井節などのステージイベントも開催されます。

こちらも同じ漁師から譲って貰ったイイダコ(飯蛸)を捕獲する小型のタコ壺や漁網を沈めるための土垂(どすい・別名:イワ)。素焼き製で長さ5〜12cm、紐(クモ)を通すための孔や凹みがある。この種のものは、縄文・弥生時代の遺跡からも多く出土していますが、これは近年のもの。海底を長年引き回され、肌がなかなか良い景色になっています。土垂は、茶事の蓋置きとしても人気があると聞きました。