古い漁具

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アイキャッチ画像は、土師器の風合いも感じさせる素焼きの漁具・はぜ壺。地元の漁師から譲っていただいたもので、胴部分の曲面の脹らみや穴の形状に民芸的な趣もあり気に入っています。後日、倉敷民藝館に19世紀・江戸時代のハゼ壺がコレクションされている事を知り、ブログの記事にしました(笑)。

はぜ壺@倉敷民藝館

はぜ壺は、海岸の浅瀬に「壺はえ縄漁法」の要領で仕掛けておき、潮の頃合いを見計らって引き上げる。その際、船の上に大きなタマ網を置いておいて、その上から壺の中に入っている獲物を海水と共に排出して捕獲するのですが、時にはイイダコやメバルなどが入っていて漁師を喜ばせたという。横に開いている丸い穴は、海面より引き上げる時に海水が抜けて中の魚を逃げさせない工夫。マハゼがつがいで入る習性に着目し上部に2つ開けた穴も、結果的に、一方の穴から空気が入る排水性、ロープの結び易さ、海底での座りに配慮した形状となって完成している。

1970年代までは瀬戸内海で盛んに使われていたようですが、河口域の乱開発によりマハゼの姿が急速に消えてしまい、この漁法も廃れ、これらの壺は遺棄されてしまった。

こちらは、イイダコ(飯蛸)を捕獲するための小型の蛸壺と、漁網を沈めるための土垂(どすい・別名:イワ)。素焼き製で長さ5〜12cm、紐(クモ)を通すための孔や凹みがある。この種のものは、縄文・弥生時代の遺跡からも多く出土していますが、これは近年のもの。海底を長年引き回され、肌がなかなか良い景色になっている。土垂は、茶事の蓋置きとしても人気があると聞きました。

因みに、瀬戸内海周辺の歴史と文化財を学ぶには、建築家・山本忠司さんが手掛けた瀬戸内海歴史民俗資料館もお勧め。瀬戸内海を一望出来る景勝地・五色台の山上に鎮座。観覧無料!

山本忠司(1923~1998)は、香川県大川郡志度町(現・さぬき市志度)に生まれ、1943年に京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科に入学。京都工業専門学校建築科を卒業後は香川県土木部営繕課技師として香川の戦後復興のために働き始める。また、金子正則知事(1907~1996)の指揮の下、丹下健三(1913~2005)の県庁舎計画にも携わり始める。

山本は、この経験を通して、地元香川で培われてきた木工事や石材加工の職人技の高さや素材の豊富さ、手仕事として実感できる伝統の厚みに目覚めていく。その成果は、香川県立武道館(1964)や栗林公園讃岐民芸館(1970)などに結実する。また、県庁舎の石工事を担当した地元の岡田石材工業の岡田賢(1924~2011)や彫刻家の流政之(1923~)ら気心の知れた仲間たちと、自らの創造の原点となる喫茶・城の眼(1962)を完成させる。

そして、日本建築学会四国支部の民家研究グループの一員として携わった民家調査も、その視点を確かなものにしていった。調査の一部は、1970年に、彫刻家のイサム・ノグチ(1904~88)の邸宅、通称“イサム家”となる丸亀の庶民的な武家屋敷を移築する設計の仕事としても実を結ぶ。続いて取り組んだのが瀬戸内海歴史民俗資料館(1973)であり、これによって県の建築技師としては初となる日本建築学会作品賞を受賞する。

このように山本は、建築課を率いて地元香川に根づく建築の姿を模索しながらも、大江宏、芦原義信、大髙正人、浅田孝ら著名な建築家に仕事を依頼して、香川県の公共建築の水準の向上にも努めた。また、浦辺鎮太郎や松村正恒、神代雄一郎らとの親交を深め、共同で瀬戸内海建築憲章(1979)を発表する。山本は、2010年に始まる瀬戸内国際芸術祭に結実する思想的な広がりをこの時点で提示していたのである。

香川県建築士会:建築ツアー資料(要約)
瀬戸内海歴史民俗資料館


講 座:香川の観光と瀬戸内海
日 時:2020年10月31日(土)
    10:00〜11:00 13:30〜14:30
講 師:田井静明(瀬戸内海歴史民俗資料館・館長)
聴講料:無料
定 員:12名(先着順)
会 場:瀬戸内海歴史民俗資料館・研修室
    香川県高松市亀水町1412-2
    087-881-4707

江戸時代後半から現代までの香川県の観光開発史を瀬戸内海視点でひもとくとともに、近代以降、地元の郷土史家や教員がそれらにどのように関わったかについて紹介します。



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