日本ジャズ界の草分け的なサックス・プレーヤーだった前野港造さん(1987〜1977)が、玉野市の玉地区にある老舗喫茶・サカエの店主だった事をエマノンミュージックの藤原憲一さん(愛称:ケンボウ)から教えて貰い、戦前ブルース音源研究所・山本 俊さんの記事をシェアして情報拡散するように依頼されたので、このブログに転載します。縁の方が居られましたら、元記事へコメントをお寄せ下さい。
因みに、自分と藤原さんとは、彼がカウント・ベイシーの追っかけをしていた頃からのお付き合い。1983年、ジャズクラブ・ブルーノートで出会った穐吉敏子さんが、1986年に受賞したリバティー賞を記念して発表したアルバム・Wishing Peace を発表するに至るまで、音楽と酒を通しての思い出も数々。そういえば、ニューヨークを散策中に用を足す時、彼は高級ホテルに忍び込むのが常だったけれど、ウォルドルフ=アストリアだけは、トイレの在処が解らなくて困ったと苦笑していたなぁ・・・2017年3月、急逝 😭
こちらの写真は、1959年10月6日、東京新橋の第一ホテルで開かれた前野港造氏の歓迎パーティー会場で撮影されたものです。日本におけるジャズ草創期の超大物メンバーが顔をそろえています。この時代ですから、席順はきっちりと序列に基づいて決められています。2列目中央が前野夫妻。向かって左が、波多野福太郎氏、右が日本初のプロのジャズ・バンドを作り、日本のジャズ普及の最大の功労者・井田一郎氏、その右隣に日本のサッチモと呼ばれた大人気トランペッター・南里文雄氏。
その他にも、日本初のジャズピアニスト・川島良雄氏、戦前最高のトロンボーン吹きで、岡山出身の谷口又士氏。戦前、ダンスホールのボーイをしているところを前野氏に見いだされサックスを教わり、戦後、スターダスターズを結成し「ジャズ界の帝王」と呼ばれた渡辺弘氏などの大スターがそろっています。これ以外にも写真には写っていませんが、服部良一氏、平茂夫氏なども参加されていました。
この前日、10月5日に NHK番組・「私の秘密」に前野氏が「日本で最初のジャズ・サキソフォン奏者です」と紹介され登場。前野氏門下生の彼らの伴奏で「ウィスパリング」を演奏、全国に放送されました。この当時、前野氏は既に引退され玉野初の喫茶店・サカエを経営されていましたので、テレビを見た近所の人達は「サカエのおじさんがテレビに出ている」と大騒ぎになったそうです。
そのテレビを見た当時の岡山県知事の三木行治(1931〜1964)が、県庁吹奏楽団の指導、指揮者として招聘。それ以外にも、三井造船や玉野高校、興陽高校などでブラスバンド部の指導にあたられました。その時期の玉野高校ブラスバンド部の教え子の一人が藤原憲一さんです。
こちらは、1926年、大阪千日前ユニオンに出演した時の井田一郎率いるチェリーランド・ダンス・オーケストラ。左から、井田一郎、前野港造、高見友祥、平茂夫、小畑光之、山口和一、山口豊三郎。高見友祥氏は、前野氏と同じ時期にハタノ・オーケストラにドラマーとして参加。井田一郎氏に誘われ、宝塚歌劇団のオーケストラに入団。そこで後に「上海山口」の異名をとり戦前最高のドラマーとなった山口豊三郎にドラムスを教えました。
前野五枝夫人の手記より
井田氏と共に宝塚を辞め、1923年、日本初のプロのジャズ・バンド「ラフィング・スターズ」を結成。その後サックスに転向(おそらく前野氏に師事)、1925年の暮れ、井田氏率いる名実ともに日本一のジャズ・バンド「チェリーランド・ダンス・オーケストラ」に参加。前野=高見という最強のサックス・セクションで活躍しました。
「25師団に居る時、舶来品の品々を覚え仕入れ先も(神戸)分かったので、玉野市玉本通りに、幸いにも家を借りることが出来た。一間の間口(雨戸3枚)だったが明るい小ぎれいな店だった。タバコとコーヒーは大阪時代から好きだった。煙突と言はれて居た。何時も煙が鼻から出て居たから。舶来品が街に何処にでもある様になったので店の売上げが少なくなった。
コーヒーは好きだったから神戸に仕入れに行った時、豆を買って来てミンチで粉にして沸かして飲んで居た。その香りが道路へ流れるので「いい匂いだ、あらコーヒーやではないの」と通る人にヒントを得て、その頃「純喫茶」が玉になかったので、神戸のコーヒー店を思ひ出し、資金を田端義夫に借りに大阪へ行った。田端義夫「大阪大劇」で一週間演奏して、ウレッコだったから、オヤジの伴奏だと歌い易ひと言って、一週間の宿代は全部田端さん持ち、一万円貰って機嫌よく帰っていた」。
余談ですが、コーヒーについての概念を根底から覆されたことが一度だけあります。かつて、「ここのコーヒーは、飲むのではなく嗜むのだ」と喝破された方の記事に誘われて訪ねたのは、名車と珈琲自家焙煎の店・ザ・ミュンヒ。近鉄大阪線の高安駅から徒歩15分ほどの住宅地にあるこの店の客は、いつも多くて2〜3組、ほとんどが常連さんとの事。「店はヒマな方がええんです。せかされて仕事するのはかなわんから」と、オーナー・田中完枝さんは、ソムリエのようにサーブしながら悪戯っぽく笑う。オリジナルのレアチーズ・ケーキも絶品なので是非ご賞味を。
因みに、この店を始める前に日本全国のコーヒー専門店を飲み歩いた田中完枝さんによれば、岡山県で真っ当な店は、倉敷市の KAFFA(2006年11月閉店)とのことでした。自分がこの記事を書いた時点での評価では、岡山市の折り鶴が素晴らしいと思います 😊