直腸癌 ステージ 3b

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Chapter1

2013年2月26日、歩くのも困難になる疲労感を感じ玉野市民病院を受診したところ、血液中の鉄分が低下した極度の貧血と診断されました。それでも直ぐに仕事に復帰出来ると軽く考えていたのですが、その貧血の原因が悪性の直腸ポリープによるものと知らされ、即日入院。パートナーにキッチンの後片付け(昨夜の鍋料理が出しっ放しでした!)を頼み。午後、母と実弟、義妹が入院手続きを行なって貰いました。

そして、手術の際の出血が 500ml を越えると輸血が必要になるので、血液の改善のため1日に3回の鉄剤投与(20ml)が必要と伝えられました。貧血が改善しなければ、他人の献血に頼る事になるという深刻な事態は、能天気な自分にも理解出来ました。これぞ、青天の霹靂・・・これから何が身辺で起きるのか、無事に退院出来た時に振り返られるように日記を綴る事にしました 😅

こちらは、玉野市民病院の個室Aと初日の朝食。病院食の配給は、魚国総本社。シーツ類の交換は、週1回でレンタルの寝間着は、1着100円。1週間で2着を使い回す配給態勢。冷蔵庫の使用料は、1日50円でした。

2月27日の CT 検査では、転移がないとの診断でしたが、岡山画像診断センターで PET 検査をするように指示されました。

3月4日、当然の禁酒で頭もクリアになってきた(笑)。毎日10時から院外を1時間の散歩。16時から院内の1階〜5階までの階段を4往復&1階フロアを4周する30分の運動を続けました。病院食のお陰もあり体重が2キロ減、血圧も正常値に戻りました 😅

Chapter2

3月6日、玉野市民病院の主治医・重戸伸幸先生から「いい感じですよ。この調子だと無事に岡山済生会総合病院病院への転院が出来そうですね」と告げられました。

3月8日、直腸ポリープ摘出手術を希望した岡山済生会総合病院での手術前検診によって、3月24日に玉野市民病院から転院し、3月26日に手術という段取りになりました。因みに、岡山済生会総合病院の個室Aは、8,925円。玉野市民病院の個室Aは、3,675円。玉野市民病院の担当ナースが言うには、「当院が安過ぎなんですよー」と告げられました(笑)。

3月9日、ピロリ菌が原因の慢性胃炎は、薬を1週間の服用で7割の確率で除菌出来るとの事でしたが、首筋と額に湿疹が表れる。担当ナースからそうした成分が含まれている事を伝えられる。体重64.7kg。

3月11日、岡山画像診断センターで PET 検査。

3月12日、鉄剤注射の効果でヘモグロビンの数値が2.6ポイント上がって、フェリチン(鉄貯蔵)も正常値に回復。血圧も引き続き正常値。同日、医療費限度額適用認定証の発行手続きの書類を協会けんぽに郵送。動ける患者は、何でも自分でしなければならない。この世は、知らない事ばかりですね。

3月13日、玉野市民病院の入院費:83,969円を支払い。

3月15日、玉野市民病院の担当医から「先日の PET 検査では、今回切除する直腸の1ヶ所以外に癌の増殖が見当たらなかった」と伝えられ、「手術に臨めるのは、幸運な事なのだ」ということも教えられました。貧血改善のお陰か、爪半月辺りのコンディションも良くなった。

3月17日、造形作家・よしもと正人さんが見舞いに来ていただき手製の落款印をいただく。思いも及ばなかった心遣いに落涙。手術のお守りとして携帯することにしました。

3月19日、ザイロリック50mg からアロプリノール100mg に変更。尿酸値が基準値より0.4ポイント高くなった事への対応と思われます。体重64kg。

Chapter3

こちらは、入院中の誕生日にパートナーからスーリィ・ラ・セーヌのイチゴ・ケーキで祝って貰った時と、退院時に既読した雑誌を置き土産にした(喜んで貰えたかなぁ・笑)玉野市民病院ロビーのマガジンラック。

3月24日、担当ナースから保険会社に提出する診断書(手術給付金と入院給付金の請求に必要)と岡山済生会総合病院へ提出するデータを渡される。その内、PET の CD は、返却するようにと伝えられました。

Chapter4

こちらは、左から成分栄養剤ドリンク(リンゴ味)。手術後に移った岡山済生会総合病院9階の個室。洗面所(シャワー付)&トイレ。術後初めて口にしたお茶。

3月25日、岡山済生会総合病院の病室は、9階の1921号室。担当ナースは、高本千春さん。午前9時、手術担当医の3人が病室に代わる代わる挨拶に来る。執刀医は、赤在義浩先生。癌(リンパ節も)の摘出時に盲腸も一緒に摘出すると伝えられる。午前10時、感染予防のイソジンガーグルでうがい。午前11時、若い看護師に恥毛の処理して貰ってシャワーを浴びる。

手術に備えて売店でリネン類(オムツやバスタオルなど)を購入して各々に名前を記入。午後1時、排便。午後3時、下剤をコップ1杯飲む。体重64.2kg。午後5時、点滴開始。午後6時、人口肛門用マーク記入(術後に癌の患部が肛門に1cm近かったら必要だったと知らされる)。午後7時、ビタミン入り点滴。午後8時30分、手術開始が翌日の午前10時30分になった事を実弟に電話で伝える。

3月26日、午前7時15分、浣腸されて手術に備える。体重 62.6kg。午前10時30分、手術開始。実弟と義妹が付き添ってくれる。5時間30分を要した術後に集中治療室へ移動させられて20分ほど経った頃、激しい寒気に襲われ便意を覚えてオムツに排便。少量だったと思うけれど、人前での排便も人生初経験(涙)。更に、ベッドが硬くてお尻に圧迫による痛みがあり、寝返りを何度も試みるも、ほとんど眠れず。

3月27日の午前9時、車椅子で病室へ移動。麻酔医によると、全身麻酔から車椅子で移動したのは凄いと驚かれるが、執刀跡の痛みが酷く、筋肉注射と睡眠導入剤を打って貰い睡眠を貪りつつ、手術後のリハビリが本当の大仕事である事を実感。首の太い静脈から高カロリー点滴(ソリタ – T4号・術後回復液)を入れて貰った。お陰で口から水も食事も採れなくても生命が維持される事にも衝撃を受けました。

3月28日、手足のムクミ解消のため、とにかく歩く事を推奨される。肺炎予防の「霧」を1日3回吸引させられるが、肝心な痰はほとんど出ず、ただただ気分が悪いだけ。

3月29日、肺と腹部のレントゲン検査。

3月30日、自力排泄出来るよう尿道に挿入していたチューブを抜いて貰う。夕方、痛み止めの薬剤を注入していた背中のチューブを抜く。同夜、痛み止めと精神安定剤をお尻に肉注射して貰い、術後初めてストレスなく4時間ほど熟睡を取る。

4月1日に朝食と4月5日の昼食(2013)

4月3日、手術後の皮膚を縫った医療用ステープラーを半分抜鈎してガーゼを交換。腸内の汚れをチェックするチューブを3cmほど抜いて検査&様子見。ソニー・エリクソン・モバイルの携帯電話でダルビッシュの今期初登板の試合を観る。9回2アウトでラストバッターのゴンザレスにセンター前に抜けるヒットを打たれ完全試合ならず。夕方、首の点滴チューブを抜く。体重62kg。赤在先生からリンパ節の病理検査の結果、直腸癌のステージが 3b であり、抗癌剤の投与についてのインフォームド・コンセントを受ける。

4月4日、腸部内部(腸内液の汚れをチェック)に挿入していたチューブと首の点滴チューブが抜かれ、オムツからも解放される。身体の自由は、心の解放と実感。「順調なので、これからは退院を目指すだけですね。退院前日に食事指導をするように手配しましょう。退院後も腸閉塞にならないように、繊維質が多く含まれる食材を控える食生活を3ヶ月ほど続ける必要がありますが、その食事指導が終わったら直ぐに帰って良いですよ」と伝えられる。そして、今回の担当医の一人が、拙宅の近所にある総合病院の息子さんであることが判明。「老後は任せて下さい」と告げられる(笑)。

Chapter5

4月9日、腹部のガーゼを女医さんが耐水仕様に交換。15日振りのシャワーを浴びる。人心地を実感。フードコーディネーターから退院に向けて食事指導。一応うるさく言われたけれど、肝心なのは良く噛んで食べる事と理解。抗癌剤治療の詳細レクチャーを受けるも回避する事を決断。

4月10日、退院。入院費は、3月分が130,809円で、4月分が177,418円でしたが、生命保険の手術給付金で十分に賄えたし、給料も満額支給されたので、終わりよければすべてよし。玉野市民病院と岡山済生会総合病院への見舞い客は、45日間で25名でした。

2019年3月28日、ステージ 3b の手術から生存率70%と聞いていた5年から更に1年が経過。癌の転移が見当たらないので、「君は、癌以外の病気で死ぬ確率が高い」と主治医の赤在義浩先生から伝えられひとまず安心(笑)。今回は、手術に至るまでの準備期間が順調に得られた事と、担当していただいた全ての優秀なお医者さまのお陰だと心底思いました。何か一つでも運が悪かったら死んでいた。これまで突然死を意識しながら過ごしていた事がなかったけど、今後は今生の時間を幾らかでも社会貢献に資することが出来たらと考えるようになりました。

その後も岡山済生会総合病院には、頼りっぱなし。2020年10月23日には、右眼緑内障のレーザー手術。この時の執刀医は、特別に福井県済生会病院の新田耕治先生。更に、2021年10月4日と10月18日には、各々2泊3日で両眼の白内障手術。執刀医は、杉原佳恵先生。そして、2022年10月17日には左腕上腕に粉瘤状のものを認めて皮下腫瘍の摘出手術。執刀医は、宮森和詞先生。その後の病理検査で良性(宮森先生が他の医者の意見や学術書を参照しながら判断したそうです・感涙)でしたが、再発の可能性ありと判断され、2022年12月21日に入院を伴う再手術。執刀医は、以前に眼瞼下垂の手術でもお世話になった安積昌吾先生。もはや「矢でも鉄砲でも持って来い」の心境になっております 😅

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