アメックスのプラチナ・カード

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初めての海外旅行は、デザインや建築を見聞するためにフランス、デンマーク、フィンランド、スウェーデンなどを巡った1976年でした。当時は、円レートが米ドルに対して300円ほどで、アメリカのビザを取るには、銀行に100万円以上の預金がある証明書の提出が必要でした。

左上から時計周りにコペンハーゲン(1976)、北京(1994)、釜山(1986)、シェムリアップ(2005)

日本でも1980年にサービスを開始したアメリカン・エクスプレスのカードは、1986年から使い始めて1990年にゴールドカードに移行。プラチナ・カードは、毎年200万円以上利用していて遅延・滞納の履歴なしが最低の条件だと聞いていましたが、何故かその半分程度の実績で招待され2005年8月に取得。ジャマイカのモンテゴベイからオーチョリオス行き飛行機が、気象の乱れにより緊急着陸したキングストンのトラベル・オフィスでは、ホテルなど各種のキャンセル対応をして貰いました。

アメックスのセールスポイントは、24時間態勢で専任スタッフが会員の要望に応えてくれる点ですが、自分には、「香港までのチャーター・ジェットを岡山空港まで回航して欲しい」なんて台詞は、年末ジャンボが連番で当たっても言えないし(笑)、保険も各種付帯されているものの、自分はゴルフやテニス、スキーに縁が無いし、身近なヨットやボートは、保障対象外。それでも旅行傷害保険と情報サービスは、流石に充実していて、アメックスで購入したチケットは、飛行機や船舶、鉄道、ホテル、劇場などを利用している時の事故での死亡や傷害に対して最高1億円の保障。海外では、カードを使用しなくても最高5,000万円。その他、賠償責任保険や携行品損害保険、遭難救援費用などが自動付帯。更に、ショッピング・プロテクションが年間最高500万円。海外での通訳サービスも役立ちそうに思えましたが、高額の年会費がカードを取り出す時の優越感の対価として適切なのか疑問を感じるようになりました 😅

ハイアット・リージェンシー東京

こちらは、東京の新宿にあるハイアット系のホテル。1980年代、年間90日ほど海外旅行していた頃の定宿で、出国と帰国の際に利用していたのですが、宿泊者の90%以上が外国人だったため、スタッフに英語での会話を強いられる事がありました。暫く拙い英語で対応するものの、直ぐに言葉のキャパが限界に近づき、「実は、日本人です」と告白したら、「嘘ぉ~!」って、真顔でゲストに言うかぁ(笑)。

帰郷後、現代アートの聖地・直島でアメリカ人の親子に案内を尋ねられた時、娘さんから「この人も、どうせ英語が使えない日本人だから駄目でしょう」と冷たくあしらわれたのですが、自分が彼女たちの故郷・シカゴに訪ねた時のエピソードを告げた途端、母親から「この人の案内なら信頼できるわよ」と手のひら返しを受けたのも衝撃的でした(笑)。

余談ですが、穴が空いたりヨレヨレになった廃棄寸前のシャツ、ブリーフ、ソックスなどの下着は、旅行中の荷物を日々軽くする使い捨てアイテムとして重宝します。勿論、非常持ち出し用のグッズとしても最適。これは、スチュワーデス(死語・笑)から教わった裏技 😅

こちらの画像は、左上から時計回りにニューヨーク、フロリダ、シカゴ(因みに、このイッセイミヤケのジャケットは、ニューヨーク・ハーレムのライブハウスで黒人女性から絶賛されました・笑)、サンフランシスコのシーランチ近郊(1986〜2005) 🤣

シーランチ(2005)

こちらは、造園家・ローレンス・ハルプリンや建築家・チャールズ・ムーアなどが設計に参加したシーランチ・コンドミニアム。画像左下は、シーランチの教会(1985年12月8日、竣工)でジェームス・ハッベルの仕事。サンフランシスコからレンタカーで片道160キロの日帰りでした。

こちらは、カリブ海で毎年2週間ほどのバカンスを楽しんでいた頃の画像。右下は、プラチナカード会員へのバースデープレゼント。左下の雑誌・Departures は、プラチナ&センチュリオン会員に離月刊で届けられる会員誌。読後は、友人の美容院に贈呈していたのですが、お客さんから「この雑誌、どこで売っているの?」って聞かれたそうです(笑)。

この会員誌・Departures の紙面を美しく飾っているアイテムは、自分の身の丈に合う合わないは別にして上昇志向を刺激してくれて心地良かった。その快感から疎遠になることが出来ず、このプラチナ・カードを長く保持して来ましたが、年金生活を迎えるようになり年会費が負担に感じるようになって2017年4月に解約。その後はの決済には、年会費が無料で携帯キャリア・ソフトバンクとの連携でポイントも効率良く貯められる Tカードを主に使用。万事めでたしでございます 🤣

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