オバケエントツ

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2013年10月26日の山陽新聞・玉野圏版に「発電所の名残 “オバケエントツ” 引退76年 存在感今も」という記事の中で、「てっぺんまで登って降りられなくなり・・・」と紹介されていた小学生が、実は同級生で弊社のスタッフだったという事実をお伝えしたくて、改めてご紹介する次第。

1960年頃、三井造船(現・三井 E&S )から良質な端材の鉄を払い受け、煙突の傍で鉄筋などに加工して販売していた山根伸鉄機工に勤めていた人から、煙突内側には螺旋階段が設けてあり、その天井には屋根も設けていたと聞きました。「煙突の中に居住スペースを作り・・・」の人とは、同社の社長さんの事。休息場所にしていたとの事で、2階にベッドと流しがあり、電気も引かれていた。しかし、2013年、隣接して建てられた冷凍倉庫が解体され、 “オバケエントツ” も、2015年の夏に撤去されました。

「あそこは工場ですか?」。瀬戸内国際芸術祭 2013 の会場となり、国内外の観光客でにぎわう宇野港。関西から訪れた女性が港の風景に映り込む1本の煙突を指し、不思議そうに尋ねてきた。

同港周辺でひときわ存在感を放つ宇野の巨大な煙突。高さ約66m、最下部の直径約5.3m。煙をもう吐いていないが、周囲に高層建築がないため、海上からも目に留まる。夜になると月明かりに照らされ、真っ黒なシルエットを浮かび上がらせる。地元住民の中には、“オバケエントツ” と呼ぶ人もいる。1919年、需要が急増する電力を賄うために東児島電気が宇野第2発電所を建設。煙突はこの当時に造られた。発電所は1937年に閉鎖。建物は取り壊され、土地の所有者も転々としたが、煙突だけは今も同じ場所に残っている。

「50年ほど前、小学生の男の子がてっぺんまで登って降りられなくなり、大騒ぎになったことがあった」と振り返るのは、大前敬治さん。「煙突の中に居住スペースを作り、お茶を飲んだりした人もいたという話しも聞いたことがある」という。

煙突は、築港出身の漫画家・いしいひさいちさんの四こま漫画「ののちゃん」にも登場。玉野に名前、特徴がよく似た架空のたまのの市にある「オバケエントツ」として描かれている。そこからひろがったのかどうか定かではないが、同様の愛称が一部で定着している。

長年ランドマークとして親しまれてきた煙突。郷土史に詳しい榧 嘉明さんは「県の発展の証人。地元住民にとってもなじみ深く、いつまでも残してほしいものの一つだろう」と説明する。現役を引退して76年経つが、今も地域の親しみの目は変わらない(小若菜美)。

出典:山陽新聞・玉野圏版

1919年、需要が急増する電力を賄うために東児島電気が宇野第2発電所を建設した時に造られた煙突。高さは、約66m、最下部の直径は、約5.3m。発電所は、1937年に閉鎖。

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