オバケエントツ

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アイキャッチ画像は、2012年8月頃に宇野港の第一突堤から南西方向にある第三突堤を臨んだ風景で高い煙突が一際目を引きますが、2013年に隣接する冷凍倉庫が解体され、通称・オバケエントツも2015年の夏に撤去されてしまいました。

「発電所の名残 “オバケエントツ” 引退76年 存在感今も」と題された山陽新聞・玉野圏版の記事で、てっぺんまで登って降りられなくなり・・・と紹介された小学生が、僕の同級生で弊社の元スタッフだった事実をお伝えしたくて改めてご紹介する次第(笑)。

「あそこは工場ですか?」。瀬戸内国際芸術祭 2013 の会場となり、国内外の観光客で賑わう宇野港。関西から訪れた女性が港の風景に映り込む1本の煙突を指し、不思議そうに尋ねてきた。

宇野港周辺でひときわ存在感を放つ巨大な煙突。高さ約66m、最下部の直径約5.3m。煙をもう吐いていないが、周囲に高層建築がないため、海上からも目に留まる。夜になると月明かりに照らされ、真っ黒なシルエットを浮かび上がらせる。地元住民の中には、オバケエントツと呼ぶ人もいる。1919年、需要が急増する電力を賄うために東児島電気が宇野第2発電所を建設。煙突はこの当時に造られた。発電所は1937年に閉鎖。建物は取り壊され、土地の所有者も転々としたが、煙突だけは今も同じ場所に残っている。

「50年ほど前、小学生の男の子がてっぺんまで登って降りられなくなり、大騒ぎになったことがあった」と振り返るのは、大前敬治さん。「煙突の中に居住スペースを作り、お茶を飲んだりした人もいたという話も聞いたことがある」という。

煙突は、築港出身の漫画家・いしいひさいちさんの四こま漫画「ののちゃん」にも登場。玉野に名前、特徴がよく似た架空のたまのの市にあるオバケエントツとして描かれている。そこから広がったのかどうか定かではないが、同様の愛称が一部で定着している。長年ランドマークとして親しまれてきた煙突。郷土史に詳しい榧 嘉明さんは「県の発展の証人。地元住民にとってもなじみ深く、いつまでも残してほしいものの一つだろう」と説明する。現役を引退して76年経つが、今も地域の親しみの目は変わらない。

2013年10月26日発行の山陽新聞・玉野圏版より

因みに、玉野市は市政70周年を記念して「ののちゃん」を玉野市のイメージキャラクターとして採用。2010年以降、NPO 法人・たまのの企画によって「ののちゃんち いしいひさいち展覧会」という展示会場が運営されています。

三井造船(現・三井 E&S )から良質な端材の鉄を払い受け、煙突の傍で鉄筋などに加工して販売していた山根伸鉄機工に勤めていた人から、「1960年頃の煙突内側には螺旋階段が設けてあり、その天井には屋根も設け電気も引かれベッドと流しのある居住スペースを作り、社長が休息場所として使っていた」と話してくれました。

明治末期から大正初期に活躍した実業家・才賀藤吉(1870〜1915)が1911年8月に事業許可を受け、同年9月に東児島電気(株)を設立。宇野村(現・玉野市宇野)に発電所を建設、1912年7月に事業開始。供給区域は、児島郡日比町、灘崎村、八浜町、甲浦村、小串村、鉾立村、山田村、胸上村、宇野村、荘内村。

Wikipedia の記事を要約転載

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