アイキャッチ画像は、宇野港の目の前にある現代アートの聖地・直島の漁港に係留されていて、美術家の大竹伸朗さんや柳 幸典さんも席を温めた海上居酒屋・漁栄丸。2012年の春、友人たちと訪ねた際に、「この漁栄丸を宇野港に設置できたら最高だよね」と話していた建築家・髙原正伸さんが、その数ヶ月後に大将から貰い受けて作品・八咫丸(やたまる)として発表してくれました。

高原さんは、「海と陸の際に焦点を当ててどのような活性化・賑わいを見いだせるか? 高齢者から子供たちの世代に、どのようにして町の記憶を継承してゆけるか? 人生は短いし、ためらってる場合じゃねぇよ」と鼓舞してくれました。
一人一人の市民が、人間的な感情を素直に自由に表現し、生活を享受することができるような社会、それが新しい市民生活の理念であるが、そのような社会を形成し、維持するためには、経済的な面で十分に豊かになっていなければならない。健康で文化的な生活を営むことが可能になるような物質的生産の基礎がつくられていなければならないというのがアダム・スミスの考え方だった。
宇沢弘文・「経済学の考え方」より
そして、この八咫丸が展示されたアートイベント・岡山芸術回廊 2012 に参加したアーティストたちが、会場になった東山ビル(1966年竣工)をリニューアルしようと活動体・レベル・カンパニを設立。2014年、住宅関連企業などによるリノベーション住宅推進協議会が募集した「第3回 リノベーション・アイデアコンペ」に「宇野港東山ビル リミックス・アパートメント」として応募し、2位に当たる優秀作品賞に輝くという「時」も刻んだのでした。

こちらは、香川県の髙松港からフェリーで宇野港へ渡って来て、東山ビルの前でほぼ毎日、午前9時から10時頃まで店開きしていた魚の行商人・「いただきさん」。「いただきさん」の名前の由来は、京都の大原女のように頭上(いただき)に荷物を乗せて運搬していた風習に由来するようです。彼女たちは漁船を岸壁に着けて魚類を行商していた漁師の姿をヒントにしたのかもしれません。漁港では、他にも魚市場を作る事を思いつく人が現れたり、その漁師の早飯を満足させる食堂を作ってみたり、彼らの周りでは、船具店や造船所などの新しい商売が次々と現れたそうです。
彼女たちの横付け自転車に積み込まれていたのは、高松中央卸売市場で仕入れた鮮度抜群の魚介類が主でしたが、ご亭主や息子さんが獲ってきた「朝取れ」も混じっていて、玉野魚市場のセリを終えた鮮魚店や鮨屋の店主たちも上得意客にしていたというのも納得でした。因みに、横付け自転車を開発&改良したのは、高松市の自転車販売店・B & C まえだの前田正文さんと伝え聞きました。2012年10月17日に宇高国道フェリーが運航休止した後も、彼女たちは四国急行フェリーを使って通っていましたが、同社も2019年12月15日に宇野〜高松航路を運航休止。それに伴い、宇野港で彼女たちの姿を見る事がなくなりました(涙)。
余談ですが、船の食事を担当する部署を司厨(しちゅう)と称します。明治時代の旧海軍が烹炊場(ほうすいじょ)に勤務をしていた士官をそのように総称していた頃の名残で、船員や旅客などの乗船数が15名までを司厨長が1名で対応するのが相当で、30名に増えると別途の司厨手が応援で乗船するそうです。