瀬戸内国際芸術祭 その2

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第5回 瀬戸内国際芸術祭 2022では、宇野港会場に屋内作品が3点、屋外作品が2点新たに誕生。自分も作品の受付や案内役をしながら来場者との交流を楽しみました。しかし、新型コロナの行動制限もあった事で、ボランティアサポーター・こえび隊に参加する応募者も思うように集まらず、肝心の会場巡りは、春会期に小豆島の作品を少々と、秋会期に直島の新作と本島、女木島、男木島の作品を鑑賞するに留まってしまいました(涙)。

小豆島会場(2022)
直島会場(2022)

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

企画展:第5回 瀬戸内国際芸術祭 2022
会 期:春会期(終了)
    夏会期(終了)
    秋会期(終了)
会 場:直島、豊島、女木島、男木島
    小豆島、大島、犬島
    本島(秋会期)、高⾒島(秋会期)
    粟島(秋会期)、伊吹島(秋会期)
    高松港周辺、宇野港周辺
主 催:瀬⼾内国際芸術祭実⾏委員会
    香川県高松市サンポート 1-1
    087-813-0853

瀬戸内国際芸術祭 2022 のポスター

「島のおじいさんおばあさんの笑顔を見たい」。そのためには、人が訪れる “観光” が島の人々の “感幸” でなければならず、この芸術祭が島の将来の展望につながって欲しい。このことが、当初から掲げてきた目的=『海の復権』です。

有史以来、日本列島のコブクロであった瀬戸内海。この海を舞台に灘波津からの近畿中央文化ができたこと、源平、室町、戦国時代へとつながる資源の争奪の場であったこと、北前船の母港として列島全体を活性化したこと、朝鮮通信使による大切な大陸文化の継続した蓄積の通路であったことは、その豊かさを物語るものでした。しかしこの静かで豊かな交流の海は近代以降、政治的には隔離され、分断され、工業開発や海砂利採取等による海のやせ細りなど地球環境上の衰退をも余儀なくされました。そして世界のグローバル化・効率化・均質化の流れが島の固有性を少しずつなくしていく中で、島々の人口は減少し、高齢化が進み、地域の活力を低下させてきたのです。

私たちは、美しい自然と人間が交錯し交響してきた瀬戸内の島々に活力を取り戻し、瀬戸内海が地球上のすべての地域の『希望の海』となることを目指し、瀬戸内国際芸術祭を開催しています。5回目の芸術祭となる瀬戸内国際芸術祭2022 においても、これまで同様、海に囲まれどこからでもアプローチでき、農・工・商が混在した原初の人びとの存在を教えてくれる瀬戸内の島巡りを通し、この先地球上に人が生きること、展望を持つことを考えながら作品を展開していきます。

男木島会場(2010)
女木島会場(2010)

こちらは、瀬戸内国際芸術祭 2010 の男木島と女木島会場の作品。男木島の画像は、左上から時計回りにオンバ・ファクトリーの「オンバ(乳母車)」。ジャウメ・プレンサの「男木島の魂」。谷山恭子の「雨の路地」。谷口智子の「オルガン」。女木島の画像は、左上から時計回りに冬の季節風から家々を守る防風防波壁・オーテ。「福武ハウス2010」。愛知芸大・「瀬戸内アートプロジェクト」。行武治美・「均衡」。

男木島の火災現場(2010)
被災後、「男木島の魂」に移されたカラクリン(2010)

振り返れば、色々なアクシデントもありました。こちらは、第1回 国際芸術祭の男木島会場で、2010年9月26日に発生した火災により、大岩オスカールの作品・「大岩島」が展示されていた旧公民館を含む4棟が全焼した現場。近所の円(まどか)食堂に飾られていた井村 隆のカラクリンも数多くが被災してしまいました。当時、島民には、作品を消失させたことに申し訳ないという気持が、作家やスタッフには、犠牲者、被災者、島民へのお悔やみの気持が何よりも強いとのことでした。

男木島会場(2022)
女木島会場(2022)

こちらは、瀬戸内国際芸術祭 2022 の男木島と女木島会場の作品。男木島の画像は、左上から時計回りに松本秋則の「アキノリウム」。大岩オスカールの「部屋の中の部屋」と「男木島パビリオン(建物設計:坂 茂)」。川島猛とドリームフレンズの「瀬戸で舞う」。男木島は、家並みを縫うように作られたアップダウンの路地から時折覗ける瀬戸内海の景色が美しい。女木島の画像は、左上から時計回りに柳 建太郎の「ガラス漁具店」。大竹伸朗の「女根 / めこん」。ニコラ・ダロの「ナビゲーションルーム」。岩沢兄弟の「鬼ヶ島ピカピカセンター」。

動揺する時代に心の定まらない者は不幸を広げる。しっかりと思いを定めている者はよりよい世界を創る(ゲーテ)。

どこに行こうとしているのか、解っていなければ、どの道を通っても、どこへも行けない(ヘンリー・キッシンジャー)。

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