暮しの手帖 と BRUTUS

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NHK の朝ドラ・とと姉ちゃんの主人公が、暮しの手帖の創業者・大橋鎭子(1920〜2013)と知り、30年ほど前に母から生前贈与(実妹を差し置いて・笑)されていた第一と第二世紀の各 1〜100号を並べてみました。表紙のグラフィックデザインは、編集者でもある花森安治(1911〜1978)。将来的には、地元の図書館に寄贈したいと考えています。

暮しの手帖の第一世紀

暮しの手帖は、1948年9月に「美しい暮しの手帖」として創刊。第22号から現在の「暮しの手帖」と改名。広告を載せない雑誌として知られていますが、唯一、第一世紀の第3号(1949年4月1日の初刷)の裏表紙に資生堂の「ゾートス化粧品」の広告が掲載されているそうですね。手元にあるのは、1955年3月7日の七版なので確認出来ていませんが・・・

因みに、大橋鎭子花森安治が一緒に創刊したスタイルブック・「暮しの手帖」とわたしは、戦後の食料、物資不足の中、女性のおしゃれ心に灯を点したいと、で、暮しの手帖に繋がるエピソードなどが当時の世相と共に描かれていて勉強にもなりました。創刊号に小説家・川端康成(1899〜1972)、第5号に旧皇族・東久邇成子(1925〜1961)が寄稿するに到る話も感動的。第一世紀と第二世紀のナビゲーターとしても有用な良本。

暮しの手帖の第二世紀

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

企画展:雑誌にみるカットの世界(終了)
    『世界』と『暮しの手帖』
会 期:2023年8月5日(土)〜11月19日(日)
    10:00〜18:00(入場は17:30まで)
観覧料:200円(一般)
会 場:世田谷美術館
    東京都世田谷区砧公園1-2
    03-3415-6011

終戦後まもなく、それまで抑圧されていた言論が活気を取り戻しつつあった頃、雑誌の創刊や復刊も相次ぎ1946年に岩波書店より雑誌『世界』が、1948年には暮しの手帖社より雑誌『暮しの手帖』(当初は「衣裳研究所」より『美しい暮しの手帖』として)が創刊されました。

『世界』は、岩波書店の創業者である岩波茂雄(1881〜1946)の意志のもと、『君たちはどう生きるか』(1937年、初版は新潮社)の著者でもある吉野源三郎(1899〜1981)を編集長に創刊された総合誌です。戦後日本の変化の激しい時代に、一貫して、日本の講和や安全保障、日韓問題、沖縄などの平和に関する問題を扱ってきました。また、志賀直哉「灰色の月」、安部公房「第四間氷期」をはじめ、文壇での主要な文芸作品が扱われたり、大江健三郎、中村雄二郎、山口昌男を中心に編纂された論集『叢書 文化の現在』(全13巻、1980〜1982年、岩波書店)へつながる議論が展開されるなど、文化的に重要な記事が多数掲載されてきた雑誌でもあります。

一方、『暮しの手帖』は、気鋭の服飾評論家であった花森安治(1911〜1978)が大橋鎭子(1920〜2013)と共に創刊した生活総合誌です。戦争の影響で物資の少なかった当時、生活に役立つアイデアを発信する雑誌としてはじまり、人々の暮らしが大量生産・大量消費型へ変化してからも、商品を実際に使用しデータを掲載した企画「日用品のテスト報告」などの良質な情報を提供し続けました。花森は自ら、原稿の執筆、取材や撮影、誌面レイアウト、表紙画、宣伝広告のデザインまですべての制作過程に携わりました。ともに日本の出版文化に大きな影響を持ち、今日まで続く雑誌です。

近年、世田谷美術館では、岩波書店より『世界』のカット原画、暮しの手帖社と土井藍生氏より『暮しの手帖』のカット原画の寄贈をいただきました。『世界』では、中川一政や加山又造、駒井哲郎、飯田善國、宇佐美圭司、加納光於など、洋画、日本画、版画、彫刻、現代美術と、日本の近現代美術を牽引してきた多様な作家が起用され、それぞれに個性あるカットを寄せています。『暮しの手帖』では、創刊号よりほとんどすべてのカットを花森が手掛け、バラエティ豊かな画風で誌面を彩りました。

本展では、これらの収蔵品より、『世界』と『暮しの手帖』、ふたつの雑誌のカット原画をご紹介します。おなじ時代を異なるかたちで歩んだ2誌の展開、そしてカットという表現にたしかにうかがえる、それぞれの描き手の魅力をご覧ください。

BRUTUS No.1~100

こちらは、ポップカルチャーの総合誌・BRUTUS の創刊号から100号までをリビングに並べてみました。現在の編集長・西田善太さんとは、安藤忠雄さんの特集記事の取材で直島に来られた時にお会いする機会があり、僕が柳宗理さん(1915〜2011)の生原稿を持っていることをお話ししたことから何度かメールを交換。その後、写真家の藤塚光政さんから西田さんが、BRUTUS のバックナンバーを水害で失ったことをお聞きし、創刊号から200号までのバックナンバーを贈与したところ、彼が編集長在任中は、返礼としてブルータスを毎号贈呈していただくという栄誉にあずかりました(笑・2010年3月22日、追記) 😅

柳 宗理さんの原稿
創刊30周年記念号と817号

こちらは、30周年記念号。読み進める内に、すっかり忘れていた若き熱き血潮が甦ってしまいました。特に、創刊当時のアートディレクター・堀内誠一さんの「ガハハハハハハハハ ワシがやっとんじゃー 面白いに決っちょらい !! 」で始まる記事と、木滑良久さんと石川次郎さんの対談が痛快そのもの。小さな文字もなんのその(笑)。画像右の漫画ブルータスは、滝沢直樹さん倉本美津留さんの「密談」も「密度」が半端じゃなく感動もの。当然、永久保存版です 😍💯

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

巡回展:堀内誠一・絵の世界
会 期:2024年7月6日(土)〜9月2日(月)
    9:30〜18:00
入館料:1,000円(一般)
会 場:島根県立石見美術館
    島根県益田市有明町5-15
    0856-31-1860

堀内誠一は、戦後の日本で、時代をリードするアートディレクターとして活躍しました。「anan」や「BRUTUS」「Olive」など、誰もがよく知る雑誌のロゴデザインを多数手掛けたほか、本の装幀、ポスターのデザインなど、柔軟な発想と唯一無二の才能で、多彩な仕事を展開しました。一方で「絵本作家の道こそ運命が決めた本命」と志をもち、1958年から絵本作家としての活動を開始。

『くろうまブランキー』『ぐるんぱのようちえん』『たろうのおでかけ』など、生涯にわたり70冊を超える絵本を世に出しました。これらの絵本は色彩豊かで、構図や画風、使う画材などに独自の工夫が凝らされ、今も年齢を問わず人々に愛され続けています。本展では、若き日の油彩画や絵本の原画などを展示して堀内の画業全般を回顧するとともに、戦後、雑誌作りにおけるエディトリアルデザインの先駆けとして活躍した仕事に注目し、堀内がこだわった創作の原点をひもときます。

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