植田正治写真美術館

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1996年1月、雪が降りしきる中(現在は、冬季休館です)、中国地方の最高峰・大山の麓に鎮守さなが佇む植田正治写真美術館(建築設計:高松伸)を訪れました。第一印象は、個人美術館にこれほどの広大な空間を与えるのは贅沢すぎと思ったのですが、館内には天衣無縫がいっぱい詰まっていて得心。外界とシンクロする空間構成も見事で、3階の石庭に至るドアを開けた瞬間に目に飛び込んでくる風景は、きっと記憶に残るでしょう。

それにしても、このような美術館が日の目を見るまでには、さまざまな紆余曲折があったことでしょう。この仕事に関わられた全ての関係者に敬意と感謝を捧げたい。植田正治さん(1913〜2000)は故人になりましたが、優秀な学芸員に支えられる素敵な美術館であり続けてくれるでしょう。

館内から大山を望む(1996)

館内の「逆さ大山」を映し出す映像展示室に使われているレンズは、ベス単と同じ機構のレンズを発売していた事のある株式会社 清原光学が製作したそうです。「ベス単写真帖・白い風」(1981)を発表した頃に植田さんと一緒に山陰を歩かれた方に教えていただきました。

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企画展:植田正治
    写真の昭和
会 期:2026年6月13日(土)~9月6日(日)
    9:00〜17:00(入館は16:30まで)
    火曜日は休館(祝日の場合は、翌日)
入館料:1,000円(一般)
会 場:植田正治写真美術館
    鳥取県西伯郡伯耆町須村353-3
    0859-39-8000

今回の展覧会のテーマは、「昭和」です。懐古趣味、あるいはレトロブームとして語られることが多いのですが、1926年から1989年という60年以上におよぶ時代は、植田正治(1913〜2000)の写歴、そして写真やカメラの発展の過程と密接にオーバーラップしています。

昭和になると次第にカメラが一般に普及しはじめ、戦後になると国内外のメーカーが競うように、小型化、高性能化をめざし、産業としても目覚ましい発展をとげました。カラー写真も登場し、より親しみやすくなり、昭和の人々、家族にとって、そして何より「昭和」という時代そのものにとって欠かせないアイテムとなったのです。同時に、写真は単なる記録から、豊かな表現力をもつ、芸術のひとつのジャンルとしても、ひろく認識されるようになったのです。

植田は学生時代からカメラや写真の魅力に出合い、1932年、昭和7年には境港に「植田写真場」、仕事としての写真館を開業しながらも、アマチュア写真家としての活動に熱心に取り組んでいきます。戦後もかわらぬスタンスで、長年にわたり「写真すること」を楽しみながら、雑誌に多くの作品が掲載されるようになり、写真集が出版され、プロのような依頼も多くなっていきました。そんな植田が、撮り遺した無邪気な子供たちの姿、懐かしい近所の街並み、すがすがしいほど素朴な人々など、多くのイメージを通して、あらためて「昭和」という時代の魅力を浮き彫りにします。昭和はまさに写真の時代であり、写真にとって、そして植田にとって、最良の被写体であったのでしょう。

出雲大社・拝殿

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

出雲地方は、神話の国としての親しみがあります。大国主神から国を譲られた(奪った)天照大神が、お礼に(祟りを畏れて)、稲佐の浜に天日隅宮(あめのひすみのみや)を建て、第二子である天穂日命(あめのほひのかみ)に仕えさせた(幽閉させた)処とされる出雲大社。そして、その傍らに因幡の白兎、八岐大蛇という出雲の壮大な世界を古代・近代史として読み解く重要な鍵となりそうな宇豆柱(1248年に造営された古代出雲大社の本殿を支えていた棟持柱)、358本の銅剣(荒神谷遺跡・国宝)、39個の銅鐸(加茂岩倉遺跡・重文)などが収蔵展示されている島根県立古代出雲歴史博物館があります。

古代出雲大社高層神殿(ストリートミュージアム)  古代・出雲大社本殿の復元(大林組)

宇豆柱と復元された古代出雲大社

この度、60年振りの遷宮にあたり、工事中の屋根に上り、完成した垣の内に入れてもらい、あたりの杉の古木を眺め、学者としては仮説というべきだろうが、今の私の気持ちとしては一つの確信を持った。あたりの杉の高さはおよそ30メートルで、これが日本の杉の高さの平均的上限になる。とすると、杉よりも高く、杉の樹冠の上に社殿を置こうとしたのではないか。

樹冠の上から眺める光景を想像していただきたい。出雲平野を埋める森はあたかも樹の海となり、樹冠は波のようにどこまでも広がり、樹々の波の東から日輪が現れ、そして西の海に沈む。出雲の名のとおり雲が湧き雨も多いから、樹冠の海の上に太陽の吐息のようにして虹も現れるだろう。今も神官が日に2度、御饌(食事)を運ぶそうだが、その昔、階を上り、樹冠の上まで至り、広縁に立って眺めれば、”この光景の主は太陽である” と思ったに違いない。

藤森照信(日本木造遺産

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特別展:その後のヲロチとスサノヲ
会 期:2026年10月9日(金)~11月29日(日)
    9:00〜18:00(入館は閉館30分前まで)
観覧料:未定
会 場:島根県立古代出雲歴史博物館
    島根県出雲市大社町杵築東99-4
    0853-53-8600

貴神でありながら、高天原を追われたスサノヲ。しかし地上世界に降り立つや勇猛にヤマタノヲロチを退治して平安をもたらしました。この「スサノヲのヲロチ退治」は日本神話のなかで最も良く知られ、人気の高い物語です。ところが中世以降、ヲロチ退治神話の筋立ては次第に変化していき、「ヤマトタケルを死に追いやった伊吹山の神がヲロチで、その子が酒吞童子」など、様々な説話が新たに出現しました。

この特別展では、神話の変容を通して、単に「悪神・英雄神」という図式では説明しきれないヲロチとスサノヲの姿に迫ります。

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