植田正治写真美術館

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1996年1月、雪が降りしきる中(現在は、冬季休館です)、中国地方の最高峰・大山の麓に鎮守さなが佇む植田正治写真美術館(建築設計:高松伸)を訪れました。第一印象は、個人美術館にこれほどの広大な空間を与えるのは贅沢すぎと思ったのですが、館内には清潔な天衣無縫がいっぱい詰まっていて得心。外界とシンクロする空間構成は見事で、3階の石庭に至るドアを開けた瞬間に目に飛び込んでくる風景は、きっと記憶に残るでしょう。それにしても、このような美術館が日の目を見るまでには、さまざまな紆余曲折があったことでしょう。この仕事に関わられた関係者に敬意と感謝を捧げたい。2000年7月4日、植田正治さんは故人となりましたが、優秀な学芸員に支えられる素敵な美術館であり続けてくれるでしょう。

館内から大山を望む(1996)

館内の「逆さ大山」を映し出す映像展示室に使われているレンズは、ベス単と同じ機構のレンズを発売していた事のある株式会社 清原光学が製作したそうです。「ベス単写真帖・白い風」(1981)を発表した頃に植田さんと一緒に山陰を歩かれた方に教えていただきました。

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企画展:植田正治
    山陰の風土に生きて
会 期:2024年9月14日(土)~12月9日(月)
    9:00〜17:00(入館は閉館30分前まで)
    火曜日は休館(祝日の場合は、翌日)
入館料:1,000円(一般)
会 場:植田正治写真美術館
    鳥取県西伯郡伯耆町須村353-3
    0859-39-8000

多くの人々にとって植田正治のイメージは「砂丘」でしょうか。不思議な空間、オブジェのような配置、スタイリッシュな構図など。しかしながら、これらのイメージとは別に、植田の写真のベースは、やはり「山陰」です。

1930年代から70年代のはじめまで、植田はほとんどの写真を「山陰」という限られたエリアで撮影しています。ただし、単に「山陰」を愛し、その美しさに魅かれたという写真ではありません。写真をはじめた1930年代、植田は海外の前衛写真に影響され、写真表現の無限の可能性を意識します。戦争前後の演出写真と呼ばれる植田独自のスタイルが評価されながらも、1950年代から演出写真を離れ、あらたな表現の道を探ります。もちろん「砂丘」も「山陰」を特徴づける重要なアイテムですが、もっと身近で日常的な「山陰」が植田の写真のベースとなっています。人々の平凡な暮らし、無邪気な子ども、四季の自然、さまざまな祭りや行事、当然ながら植田はファインダーをのぞきながら、「山陰の風土」の中に容易に入り込み、溶け込みながらシャッターを切ったのです。

今回の展覧会は、「山陰の風土」をテーマに植田の初期から1970年代までの作品を中心に紹介します。一見、スタイリッシュな写真とは真逆に思える写真ばかりですが、地元にこだわり続け、さまざまな手法でとらえた「山陰」を紹介しながら、その「まなざし」をあらためて浮き彫りにします。

出雲大社・拝殿

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を

出雲地方は、神話の国としての親しみがあります。大国主神から国を譲られた(奪った)天照大神が、お礼に(祟りを畏れて)、稲佐の浜に天日隅宮(あめのひすみのみや)を建て、第二子である天穂日命(あめのほひのかみ)に仕えさせた(幽閉させた)処とされる出雲大社。そして、その傍らに因幡の白兎、八岐大蛇という出雲の壮大な世界を古代・近代史として読み解く重要な鍵となりそうな宇豆柱(1248年に造営された古代出雲大社の本殿を支えていた棟持柱)、358本の銅剣(荒神谷遺跡・国宝)、39個の銅鐸(加茂岩倉遺跡・重文)などが収蔵展示されている島根県立古代出雲歴史博物館があります。

古代出雲大社高層神殿(ストリートミュージアム)  古代・出雲大社本殿の復元(大林組)

宇豆柱と復元された古代出雲大社

この度、60年振りの遷宮にあたり、工事中の屋根に上り、完成した垣の内に入れてもらい、あたりの杉の古木を眺め、学者としては仮説というべきだろうが、今の私の気持ちとしては一つの確信を持った。あたりの杉の高さはおよそ30メートルで、これが日本の杉の高さの平均的上限になる。とすると、杉よりも高く、杉の樹冠の上に社殿を置こうとしたのではないか。

樹冠の上から眺める光景を想像していただきたい。出雲平野を埋める森はあたかも樹の海となり、樹冠は波のようにどこまでも広がり、樹々の波の東から日輪が現れ、そして西の海に沈む。出雲の名のとおり雲が湧き雨も多いから、樹冠の海の上に太陽の吐息のようにして虹も現れるだろう。今も神官が日に2度、御饌(食事)を運ぶそうだが、その昔、階を上り、樹冠の上まで至り、広縁に立って眺めれば、”この光景の主は太陽である” と思ったに違いない。

藤森照信(日本木造遺産)

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企画展:荒神谷発見!
    出雲の弥生文化
会 期:2024年7月12日(金)~9月8日(日)
    9:00〜18:00(入館は閉館30分前まで)
入館料:700円(一般)
会 場:島根県立古代出雲歴史博物館
    島根県出雲市大社町杵築東99-4
    0853-53-8600

1984年の夏、荒神谷遺跡(出雲市斐川町)で358本もの銅剣が発見され、さらに翌年、銅鐸6個・銅矛16本が出土しました。荒神谷遺跡は全国最多の青銅器大量埋納遺跡として、大きな注目を集めることになります。この発見により、それまで神話や古代史から描かれていた古代出雲のイメージは大きく変わりました。

本企画展は、荒神谷発見40周年の節目の年に、最新の研究成果を踏まえ、あらためて出雲の弥生文化に焦点を当てるものです。まず、島根県内で近年行われた発掘調査の成果を通じて、水田農耕や狩猟・漁労、住まいやモノ作りなど、弥生人たちの生活の実態を解き明かします。次に、出雲で玉作りが本格化し、遠く離れた九州・朝鮮半島との広域交流を行っていた様子、また争いが起こっていたことを示す資料を紹介します。さらに、弥生人がまつりの道具として採用した青銅器の、製作から使用に関わる資料を示し、出雲の青銅器大量埋納の謎に迫ります。

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