アサヒグループ大山崎山荘美術館

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石造りの回廊、重厚な木建具の間を回遊していると濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチらの作品がニコニコしながら迎えに来てくれる。大切に使い込まれた建築のみが醸し出すことができる空間がアサヒグループ大山崎山荘美術館にはある。ニッカウヰスキーの創始者の1人・加賀正太郎が大正時代に完成させたこの豪壮な山荘が、マンション建設のために取り壊し寸前だったとはにわかに信じがたい。

何かユニークな方法で、この山荘を後世に残しておきたい、それもできるだけ多くの人たちに喜んでもらえるようなかたちで・・・。(中略)展示されている美術品には、アサヒビールの初代社長である山本為三郎氏の陶磁器コレクションやアサヒビール所有のモネの絵画も含まれているが、その後もたくさんの方々から寄贈をいただいている。企業として、社会にいかなる還元ができるかを常に念頭に置かなければならないというのが、私の持論である。ささやかではあるが、お役に立てたと思っている。

樋口廣太郎

そう、大人がしっかり見守らなければ、「子供」は大切なものを簡単に捨ててしまう。

アサヒグループ大山崎山荘美術館(2011)

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

展覧会:蘭花譜と大山崎山荘
    大大阪時代を生きた男の情熱
会 期:2024年3月9日(土)~5月12日(日)
    10:00〜17:00(最終入館は16:30)
入館料:1,100円(一般)
会 場:アサヒグループ大山崎山荘美術館
    京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原5-3
    075-957-3123

2024年は、大山崎山荘を造った加賀正太郎(1888〜1954)が66歳で没してから70年にあたります。彼は、近世から近代にわたり経済の中心地として発展した船場(現在の大阪市中央区の一角)に生まれ、大大阪時代のただなかで活躍した実業家でした。その業績のひとつに、ニッカウヰスキーの前身である大日本果汁株式会社設立への貢献があげられますが、奇しくも本年はニッカウヰスキー創立から90年を迎える年でもあります。本展では、加賀正太郎の足跡をたどるとともに、彼が後世に残した貴重な財産である大山崎山荘と『蘭花譜』を広く紹介します。

『蘭花譜』(1946年発行)とは、加賀正太郎が自ら育てた蘭をモチーフに監修・制作した木版画83点、カラー図版14点、単色写真図版7点の104点で構成される植物図譜です。なかでも木版画の美しい色彩や技法は、美術品としても高い評価を得ています。若き実業家が大山崎の地に咲き誇らせた、蘭と文化の香りに思いをはせるとともに、大大阪と呼ばれた時代のダイナミズムを感じてください。

こちらは、柚木さん展覧会:染の仕事@アサヒグループ大山崎山荘美術館を記念して2008年4月12日に開催された染色家・柚木沙弥郎さん(1922〜2024)の講演会@大山崎町ふるさとセンター。たまたま手にした雑誌「民藝」で芹沢けい介の仕事に衝撃を受け型染めの世界に飛び込む事になった経緯や、柳宗悦、バーナードリーチ、濱田庄司ら民芸運動の先達から学んだ創作における姿勢などを、言葉を慎重に選びながら語って下さった。

柚木沙弥郎さんの作品も、伝統的な英国建築の意匠に見事にマッチングさせた展示構成で、正に民藝の「用の美」を具現化したものでした。1年半ぶりに訪れた美術館も庭園修復がほぼ完了していてアプローチの庭木が一段と清々しく誇らしげだった。

こちらは、講演後に訪ねたサントリー山﨑蒸溜所。ここに国産ウイスキーをつくるため1923年に日本で初めて作ったのは、寿屋(現・サントリー)の創業者・鳥井信治郎(1879〜1962)。初代工場長には、後にニッカウヰスキーの創業者となる竹鶴政孝(1894〜1979)が迎えられました。京都・JR山崎駅から徒歩10分。

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