石造りの回廊、重厚な木建具の間を回遊していると濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチらの作品がニコニコしながら迎えに来てくれる。大切に使い込まれた建築のみが醸し出すことができる空間がアサヒビール大山崎山荘美術館にはある。ニッカウヰスキーの創始者の1人・加賀正太郎が大正時代に完成させたこの豪壮な山荘が、マンション建設のために取り壊し寸前だったとはにわかに信じがたい。
「何かユニークな方法で、この山荘を後世に残しておきたい、それもできるだけ多くの人たちに喜んでもらえるようなかたちで・・・。(中略)展示されている美術品には、アサヒビールの初代社長である山本為三郎氏の陶磁器コレクションやアサヒビール所有のモネの絵画も含まれているが、その後もたくさんの方々から寄贈をいただいている。企業として、社会にいかなる還元ができるかを常に念頭に置かなければならないというのが、私の持論である。ささやかではあるが、お役に立てたと思っている」(樋口廣太郎)・・・そう、大人がしっかり見守らなければ、「子供」は大切なものを簡単に捨ててしまう。

NEWS! ご案内をいただきました 🤣
展覧会:没後10年 舩木倭帆展
会 期:2023年7月15日(土)~12月3日(日)
10:00〜17:00(最終入館は16:30)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
入館料:1,100円(一般)
会 場:アサヒビール大山崎山荘美術館
京都府乙訓郡大山崎町字大山崎小字銭原5-3
075-957-3123
アサヒビール大山崎山荘美術館は、2023年7月1日より館名を「アサヒグループ大山崎山荘美術館」に変更いたします。新しい館名として最初の展覧会となる本展は、2021年2月 に当館が倉敷の森田酒造の代表取締役・森田昭一郎氏より、舩木倭帆作品105点の寄贈を受けたことを記念するものです。
舩木倭帆(1935〜2013)は 、島根県松江市の布志名焼窯元の家に生まれました。島根大学在学中にガラス工芸を志すようになり、卒業後は大阪の清水硝子製造所を経て、東京の各務クリスタル製作所に勤めながら 、同社の伊藤 孚氏とともに自由な創作を目指して共同窯を築きます。以降、北九州で活動したのち、1987年、広島に工房「グラスヒュッテ」を設立して精力的に制作しました。
花瓶 、皿 、鉢 、グラス 、茶碗・・・舩木が生涯手がけたのは、暮らしのなかで活躍する器でした。デザインから仕上げまで一貫制作の手仕事によって生みだされた器はいずれも、ガラスという素材でありながら、やわらかな温もりと用にかなう堅牢さをあわせもちます。舩木の没後10年を迎える節目の年に、現在もなお私たちを魅了しつづける舩木倭帆作品の数々をご紹介いたします。

こちらは、国産ウイスキーをつくるため日本に初めて建設されたサントリー山﨑蒸溜所。作ったのは、寿屋(現・サントリー)の創業者・鳥井信治郎(1879〜1962)。初代工場長には、後にニッカウヰスキーの創業者となる竹鶴政孝(1894〜1979)が迎えられました。京都・JR山崎駅から徒歩10分。アサヒビール大山崎山荘美術館を訪ねた際には立ち寄って欲しい。ウィスキーの製造工程を見学するガイドツアー(有料、要予約)が人気です。