大原美術館

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2006年7月、大原美術館の館長・高階秀爾さん(2023年6月30日をもって退任。2024年10月17日、逝去)と倉敷美観地区の馴染みの蕎麦屋・石泉で相席になったことを記念して今更ながらのエントリー。2030年は、開館100周年!

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

講演会:追悼シンポジウム(終了)
    高階秀爾館長と大原美術館
日 時:2025年10月17日(金)
    17:30〜19:30(開場17:00)
定 員:350名(申込不要。当日先着順)
参加費:無料
会 場:倉敷公民館
    倉敷市本町2-21
    086-422-0005(大原芸術財団)

パネリスト:河野元昭(東京大学名誉教授)、津上みゆき(アーティスト)、三浦 篤(大原美術館・館長)、柳沢秀行(大原芸術財団・シニアアドバイザー)

大原美術館本館から旧・大原家住宅を臨む(1970年頃)

倉敷紡績(現・クラボウ)、倉敷絹織(現・クラレ)、倉敷銀行(現・中国銀行)などを経営していた実業家であり社会事業家(ここに大注目して欲しい)だった大原孫三郎(1880〜1943)が、画家・児島虎次郎(1881〜1929)に世界各国の美術コレクションを蒐集させた後に開館した大原美術館。ところが、その当時の孫三郎は、虎次郎への友情から西洋美術の蒐集を命じていたものの、実はその方面にはほとんど関心がなく、趣味の茶道を通じて出会った浜田庄司バーナード・リーチ河合寛次郎棟方志功芹沢けい介などの作品を愛し、工芸館や東洋館に展示する作品の蒐集に注力していたそうです。

大原美術館に美術品の蒐集に当たった児島虎次郎画伯は、父の最も信頼した友人の一人で、単なる援助者という以上の関係にあった。それは石井十次氏が、その女婿となった児島画伯が画家をやめて孤児院院長の後継者となることを望んでいたことをもって知ることができる。児島画伯は倉敷の郊外(いまは市内)の酒津に住み、そこで一生を画業にささげた。

昭和4年3月、児島画伯は47歳を一期として他界したが、父はその死を惜しみ、かつ、その遺業を記念するため、蒐集した美術品と児島画伯の絵とを陳列する美術館の設立を決意し、薬師寺主計氏にその設計を委嘱した。そのほか、満谷国四郎太田善二郎吉田 苞の3氏が協議にあずかり、施工は藤木工務店が担当した

大原総一郎(敬堂十話)

学生時代に購入したこちらの大原美術館カタログには、ゴッホの作品・アルピーユの道が本物として掲載されていました。後に贋作(ほぼ日刊イトイ新聞:ゴッホの贋作を見て覚えた感動は本物か。)とされ、1984年以降、館内に展示されなくなりました。

余談ですが、日本と中華民国による武力紛争・満州事変の事実関係を調査する国際連盟が派遣した国際連盟日支紛争調査委員会(リットン調査団)のメンバーが1939年に倉敷を訪れ、当館のコレクションに仰天し京都や金沢と同様に第2次世界大戦の大空襲を免れたという逸話は有名。1991年の本館リニューアルにより展示空間も少し広くなり、17世紀以降の西洋絵画からエル・グレコ、ゴッホ、モネなどの印象派、そしてカンディンスキーやポロックなどの現代美術に至るまでのパイオニア的な作品を一連の流れの中で展覧できるようになりました。それでも同館の収蔵庫に眠っているコレクションを展示するにはスペースが物足りない(涙)。

工芸館(2016)

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特別展:倉敷大原家と中国絵画
    大原コレクションでひらく近代への扉
会 期:2026年4月25日(土)〜6月7日(日)
    9:00〜17:00
入場料:2,000円(一般)
会 場:大原美術館 本館5〜7室
    倉敷市中央1-1-15
    086-422-0005

白壁の町並みがいにしえの風情を今に伝える町、倉敷。瀬戸内海の干拓と新田開発を背景に、江戸時代中期より備中地域の政治・経済の拠点として発展を遂げた町です。天領、すなわち幕府直轄地であった倉敷では、大名の直接支配や庇護を受けない時代が長く続いたことから、町衆の間に自治の気風が育まれ、米や綿花、菜種などの流通・加工を通じて力を蓄えた有力商人たちがその中心的役割を担っていきました。そのような中で、江戸時代後期に勢力を伸ばした「新禄」と呼ばれる商家のひとつが大原家です。幕末には倉敷を代表する豪商へと成長を遂げた大原家は、近代に入ると倉敷紡績の経営に乗り出し、その資本をもとに、今日に続く倉敷の発展を導いていくこととなります。

本展は、大原家の六代目である孝四郎(1833〜1910)、七代目の孫三郎(1880〜1943)、八代目の總一郎(1909〜1968)を中心に、大原家代々が収集し愛賞した中国絵画をご紹介するものです。倉敷紡績初代社長をつとめ、近代産業資本家としての大原家の基盤をつくった孝四郎。西日本屈指の企業家として活躍するとともに、希代の社会事業家としても名を残した孫三郎。戦後の倉敷レイヨン(現クラレ)を率い、理想をあきらめないその姿勢から「美しい経済人」と評された總一郎。彼らの手による中国絵画コレクションには、時代を超えて受け継がれる中国文化への敬愛とともに、変貌を遂げていく日中関係と時代の様相が映し出されているといえるでしょう。室町将軍家旧蔵品、いわゆる「東山御物」であり、古渡の名品として名高い国宝《宮女図》をはじめ、開国間もない日本で繰り広げられた清人画家との交流を物語る胡鉄梅作《謙受堂雅集図》(初公開)、中国最後の文人といわれ、近代日中文化交流でも大きな役割を果たした呉昌碩作《墨梅図》など、元時代より近代に至るまで、国宝2件、重要文化財2件と多数の初公開作品を含む展示作品により、大原家と中国絵画との関わりを紐解いていきます。

また、本展は2023年に本格的修復を終えた《五牛図巻》の修復後初公開の機会ともなります。元時代の名品として知られる《五牛図巻》と、20世紀を代表する伝説の中国人画家張大千との驚くべき関わりをはじめ、修復事業を通して明らかとなった知見を広く共有することにより、今後の活発な議論を促し、中国絵画研究の進展に寄与することを願うものです。

左:サン・シスター(リバース) 右:赤漆舟守縁起猫(2022)
3回目の訪問でサン・シスター(リバース)の立ち上がる瞬間に出会えました 🤣

中国銀行から寄贈された建物で開催されていた「百年愛された銀行建築を児島虎次郎館へ再生するプロジェクト」では、ヤノベケンジの作品・《サン・シスター(リバース)》および《赤漆舟守縁起猫》が展示されていました。

ヤノベケンジ展@有隣荘(2010)

大原美術館と向かい合うように建っている黄緑色の瓦が特徴的な大原孫三郎の別邸・有隣荘(別名:緑御殿)は、病弱だった壽恵子(すえこ)夫人のために建築家・薬師寺主計(1884~1965)や数々の名庭を手掛けた7代目・小川治兵衛(1860~1933)といった名手たちにより丹念に作り上げられ1928年に竣工。近年、春と秋の特別展示の際に一般公開されています。

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特別展:秋の有隣荘・特別公開(終了)
    森村泰昌・ノスタルジア、何処へ?
会 期:2025年10月7日(火)〜11月9日(日)
    10:00〜16:00
入場料:1,000円(一般)
会 場:大原美術館・本館、有隣荘児島虎次郎記念館
    倉敷市中央1-1-15
    086-422-0005(大原美術館)

セルフポートレイト作品を通じて、「私」とは何かについて問い続けてきた美術家・森村泰昌による<令和7年秋の有隣荘特別公開 森村泰昌「ノスタルジア、何処へ」 ― 美術・文学・音楽を出会わせる―」>展を開催いたします。

大原美術館との出会いによって、美術家・森村の「私」的な眼差しは何を見つめたのか。その眼差しの旅を、大原美術館の本館、有隣荘、児島虎次郎記念館の3カ所を巡りながら体験できる「回遊式の展覧会」です。

それぞれの景観を壊すことなく、むしろ寄り添う姿勢を保ちながら「美術」「文学」「音楽」が分かちがたく結びついていた在りし日の日本文化の可能性を分断の時代と言われる現代にいかに活かせるかを探ります。

今橋から大原美術館本館を眺める(2020)

大原美術館・本館の設計は、薬師寺主計(1884〜1965)が携わりました。1930年4月に着工して、11月5日に開館という突貫工事で、施工費5万円(現在の価格で1億5千万円)でしたが、前年の1929年は、ニューヨーク株式市場の大暴落に始まる世界恐慌が日本も直撃し、倉敷紡績も大幅な欠損に見舞われます。

そのような状況の中で、日本国内最初の私立西洋近代美術館が出現した事は世間的には驚天動地の大事件だったようです。左右にロダン作の彫像を配している本館玄関は、石造建築のように見えますが、イオニア式の柱も鉄筋コンクリート造で、左官が表面を石粉をモルタルと混ぜた人工石材で模しているとの事。尚、倉敷川に架かる今橋(5種20面の龍の模様が彫られている)は、児島虎次郎によってデザインされたもので、辰年生まれの大原孫三郎に因んでいるとお聞きしました。

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