くわばらくわばら

  • ブックマーク

2005年7月、友人の母親が女性ドライバーの軽四自動車と接触、右大腿部骨折(全治3ヶ月)の交通事故に遭いました。通常だと救急車とパトカーが現場に到着し、警察官が当事者から事情を聴取をして、怪我人は病院へ搬送されて、後日発行される事故証明書によって治療費、後遺症への保障や慰謝料などが自賠責保険と任意保険から支払われる運びとなります。

ところが、この女性ドライバーは、救急車を呼ばずに当該の車で負傷者を乗せて病院に搬送してしまったのです。事故現場は、スーパーマーケットの車両出入り口で、現場では2人の買い物客が直ぐに駆け寄って女性ドライバーに救急車の手配(証言あり)を求めています。その助言を押しのけての行動も不可解なのですが、その女性は、「貴女のお母さんが私の車に当たって転んで怪我をしました。今、かかりつけの病院に運んでいます」との電話を友人にしてきたのです。

電話を受けて驚いた友人が病院に駆けつけてみると、その女性から「示談にして欲しい。免許にキズをつけたくないので警察には届けないで欲しい」と懇願してきたものの、友人が「それはできません。すぐに警察に届けて下さい」と諭すと、その日の夕方には態度を一変させ、「私は、転んでいた貴女のお母さんを気の毒に思い病院に連れてあげただけだ」と、主張(病院関係者の証言あり)しだしたのです。

現場での事故処理ができなかった警察としては、双方の言い分がまったくかみ合わないので、被害者の怪我の回復を待って現場検証を行ったものの、時間の経過もあり友人の母親の記憶も曖昧になり、女性ドライバーを業務上過失傷害容疑ありと断定できず、事故証明書の発行もできない状態に陥りました。被害者の衣服は洗濯済み。軽四自動車も洗車済みという物的証拠の無い状態では、裁きようがないというのです。

オート三輪

こちらのは、1960年頃のダイハツ車でしょうか? アイキャッチ画像は、マツダ車でしょうか?

友人:「しっかりと取り調べをして下さい!」

警察官:「先方は、ちゃんとした処に務めている職員だ。暴走族のような連中が言っているのとは、訳が違う!」

警察官も所詮は人の子である(笑)。

今後は、地元の弁護士会に調停を求める流れになりますが、それが不調に終われば民事裁判で争うことになる。交通事故に詳しい行政書士と弁護士によると、「まあ、6対4で、こちらの分が良いだろう」とのことでしたが、担当官によってはまったく反対の判決もありうるとのこと。この世は、理不尽なことだらけですね。

裁判官も当然、人の子である(笑)。

友人は、調停を視野に入れながらも、警察官の取り調べなどに対して異議申し立てをすることも忘れなかった。僕は、弁護士会の相談窓口には経験的に懐疑的なのですが、今回の事案は検察庁に送致されるという結果をもたらした。数日後には、再調査するとの連絡が入り、そして今夜、「新たな目撃証言などを勘案した結果、事故証明書を発行します。明確な接触事故とは証明できないが、被害者は、軽四自動車のボンネットに手をついて転倒したと思われる」という見解に至ったという電話が入ったのです(2005年12月24日、追記)。

事故発生から8ヶ月、交通事故証明書が発行されてから3ヶ月、自賠責保険の請求を保険会社に出してから既に2ヶ月が経過しているけれど、いまだに自賠責保険が下りない。どうやら当事者の「甲」の欄に友人の母親の名前が記載されている事が問題になっているらしい。普通は、「乙」の欄に母親の名前が記載されるべき案件との事。法律的には差別はないそうですが、保険業界では、「甲」が加害者というのが暗黙の了解事項なのだという。ここにきてまでも、担当警察官の意図が解らない。これについては、検察庁も不審に思ってと伝え聞きました。任意保険の請求が次ぎに控えているというのに、なんということでしょう(2006年3月15日、追記)。

「やっと自賠責保険が下りることになりました。料率は解らないけれど、女性ドライバーに過失があったことが確定されたことになります」とのメールが友人から入った。今回は、相談した司法書士と弁護士、担当の検察官と友人が、それぞれの立場でねばり強く戦った賜なのだと思うのですが、女性ドライバーが起訴猶予となったので、実地検分調書のコピーを入手したところ、記載内容に誤認があることが判明。問題の根はかなり深そうです・・・くわばらくわばら 😅

閑話休題

今年は、2度も自動車に轢かれそうになった。最初は、信号機のある片側2車線の横断歩道上! 2度目は、信号機のない片側1車線の横断歩道上! その恐怖感は、並大抵ではなかった。記録映像があれば、慰謝料を請求したい。 どちらの自動車も前方から右折して来たのですが、まるで歩行者を視認していないかのようなスピードで近づいて急ブレーキ。思わず「轢かれる!」と思い、立ち竦んだほど。

寿命が縮んだのは、間違い無い。いつの頃から自動車のドライバーは、横断歩道の手前で減速、もしくは一旦停止をしなくなったのだろう。また、歩行者も信号機のない横断歩道上で、左右の確認もせず、片手を挙げて渡る意志を示すこともなく、躊躇なく歩き出すようになったのだろう? 

2008年2月23日に発行された朝日新聞の記事より

2008年2月19日に千葉県沖の太平洋で、漁船・清徳丸とイージス艦・あたごの追突事故は、どちらか一方に大きな非があったのではなく、互いが相手船を思いやる気持ちと、危険を予知する能力の低さが招いた悲劇だと思いました。事故直後は、満月に近い明るさが西北西の水平線上に残っていて、波も静かで視界良好だったようです。仮に僕がイージス艦を操艦していたら漁船を確認した時点で減速するか、右に転舵して清徳丸をやり過ごしただろうし、漁船を操船していたら横切り関係(参考サイト)にならない十分な距離で減速するか、左に転舵してイージス艦の後方を通過したでしょう。

どちらの操船者(見張りも含む)にも、自分の判断ミスで致命的な事態を招くかもしれないという想像力がまったく欠けていたのではないか? 陸上と同様、海上にもアクロバティックな運転を好む人が少なかあらず居ますが、上等な技術とは、危険を回避することを誇るのではなく、危険な状況に自らを追い込まないことでしょう。テレビのニュース解説を聞きながら、このような所感を持ちました。

四海波静かにあれと もやいとり 😊

2024年は、大惨事の幕開けになってしまった(涙)。1月1日に能登半島地震が発生。更に1月2日に羽田空港にて日本航空のエアバス機と海上保安庁のボンバルディア機が衝突炎上。せめて1月3日は、何卒ご容赦くださいますようお願い申し上げます 🙏

この記事を書いた人