大原美術館

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2006年7月、倉敷の美観地区にある馴染みの蕎麦屋・石泉大原美術館の館長・高階秀爾さん(2023年6月30日をもって退任)と偶然相席になったことを記念して今更ながらのエントリー(笑)。

大原美術館本館から旧・大原家住宅を臨む(1970年頃)

倉敷紡績(現・クラボウ)、倉敷絹織(現・クラレ)、倉敷銀行(現・中国銀行)などを経営していた実業家であり社会事業家(ここに注目したいですね)だった大原孫三郎(1880〜1943)が、画家・児島虎次郎(1881〜1929)に世界各国の美術コレクションを蒐集させた後に開館した大原美術館。ところが、その当時の大原孫三郎は、児島虎次郎への友情から西洋美術の蒐集を命じていたものの、実はその方面にはほとんど関心がなく、趣味の茶道を通じて出会った浜田庄司バーナード・リーチ河合寛次郎棟方志功芹沢けい介などの作品を愛し、工芸館や東洋館に展示する作品の蒐集に注力していたそうです。

大原美術館に美術品の蒐集に当たった児島虎次郎画伯は、父の最も信頼した友人の一人で、単なる援助者という以上の関係にあった。それは石井十次氏が、その女婿となった児島画伯が画家をやめて孤児院院長の後継者となることを望んでいたことをもって知ることができる。児島画伯は倉敷の郊外(いまは市内)の酒津に住み、そこで一生を画業にささげた。

昭和4年3月、児島画伯は47歳を一期として他界したが、父はその死を惜しみ、かつ、その遺業を記念するため、蒐集した美術品と児島画伯の絵とを陳列する美術館の設立を決意し、薬師寺主計氏にその設計を委嘱した。そのほか、満谷国四郎太田善二郎吉田 苞の3氏が協議にあずかり、施工は藤木工務店が担当した

大原総一郎(敬堂十話)

学生時代に購入したこちらの大原美術館カタログには、ゴッホの作品・アルピーユの道が本物として掲載されていましたが、後に贋作(ほぼ日刊イトイ新聞:ゴッホの贋作を見て覚えた感動は本物か。)とされ、1984年以降、館内に展示されなくなりました。

余談ですが、日本と中華民国による武力紛争・満州事変の事実関係を調査する国際連盟が派遣した国際連盟日支紛争調査委員会(リットン調査団)のメンバーが1939年に倉敷を訪れ、当館のコレクションに仰天し京都や金沢と同様に第2次世界大戦の大空襲を免れたという逸話は有名。1991年の本館リニューアルにより展示空間も少し広くなり、17世紀以降の西洋絵画からエル・グレコ、ゴッホ、モネなどの印象派、そしてカンディンスキーやポロックなどの現代美術に至るまでのパイオニア的な作品を一連の流れの中で展覧できるようになりました。それでも同館の収蔵庫に眠っているコレクションを展示するにはスペースが物足りない(涙)。

工芸館(2016)

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

特別展:異文化は共鳴するのか?
    大原コレクションでひらく近代への扉
会 期:2024年4月23日(火)〜9月23日(月・祝)
    9:00〜17:00
入場料:2,000円(一般)
会 場:大原美術館
    倉敷市中央1-1-15
    086-422-0005

ロダン、モネ、セザンヌ、ピカソ・・・。21世紀の今日もなお、私たちを惹きつける近代美術たち。鉄道や写真といった移動・情報手段の登場は、近代の人々に異なる文化との出会いを促し、芸術家たちはその出会いに刺激され、時に格闘しながら、新たな芸術を生み出していきました。異文化が出会い、融合し、混交する。そこから生まれるエネルギーこそが、私たちの心を捉えて止まない近代美術の魅力であり、特質であるといえるでしょう。

1930年に設立された大原美術館は、実業家・大原孫三郎(1880〜1943)の支援の下に洋画家・児島虎次郎(1881〜1929)が収集した、近代を中核とする西洋美術作品を出発点としています。その後もコレクションは、西洋の現代美術、日本の近現代美術、民藝運動ゆかりの作家たちの作品へと範囲を拡大していきますが、その中核となるのは、やはり、19世紀後半から20世紀前半の近近代美術であることは間違いありません。そして、大原美術館それ自体もまた、近代が産んだ文化遺産です。

本展覧会は、「近代美術の大きな特質と魅力は、異文化の融合、混交にある」という視点から、大原美術館の豊かな歴史とコレクションを活用して、「大原美術館独自の近代美術再検討」、「文化交流の視点に沿った新たな展示」、「作品と資料による時代相の再現」を試み、近代美術と大原美術館の魅力を新たな角度からご紹介しようとするものです。

左:サン・シスター(リバース) 右:赤漆舟守縁起猫(2022)
3回目の訪問でサン・シスター(リバース)の立ち上がる瞬間に出会えました 🤣

中国銀行から寄贈された建物で開催されていた「百年愛された銀行建築を児島虎次郎館へ再生するプロジェクト」では、ヤノベケンジの作品・《サン・シスター(リバース)》および《赤漆舟守縁起猫》が展示されていました。

ヤノベケンジ展@有隣荘(2010)

大原美術館と向かい合うように建っている黄緑色の瓦が特徴的な大原孫三郎の別邸・有隣荘(別名:緑御殿)は、病弱だった壽恵子(すえこ)夫人のために建築家・薬師寺主計(1884~1965)や数々の名庭を手掛けた7代目・小川治兵衛(1860~1933)といった名手たちにより丹念に作り上げられ1928年に竣工。近年、春と秋の特別展示の際に一般公開されています。

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

特別展:秋の有隣荘・特別公開(終了)
    家族のかたち
会 期:2023年10月6日(金)〜10月22日(日)
    10:00〜16:00
入場料:1,000円(一般)
会 場:大原家旧別邸・有隣荘
    倉敷市中央1-3-18
    086-422-0005(大原美術館)

令和5年秋の有隣荘の特別公開は、「家族のかたち」と題し、大原美術館の所蔵作品の中から家族を題材にした作品を選び、展観いたします。

大原美術館の創設者である大原孫三郎(1880〜1943)の私邸兼迎賓館として誕生した有隣荘。特徴的な緑色の屋根瓦が目を引き、平屋建ての洋風建築と2階建ての和風建築からなるこの名建築には、大原美術館本館の設計も担った薬師寺主計(1884〜1965)をはじめとする、作り手たちの優れた技能が注がれています。

当初、孫三郎は病弱であった妻・壽惠子(1883〜1930)を気遣い、開放的な町家である大原家本邸に対して、家族だけでゆっくりと過ごせる空間をつくろうと、建設を計画しました。迎賓館としての役割も加わり、有隣荘は1928年に完成しましたが、残念ながらその2年後に壽惠子は他界。家族のための空間として機能した時間はわずかでした。しかし、家族を想う孫三郎の意思が、この建築を形づくったことは確かです。

この度の展示では、大原美術館の所蔵作品の中から家族を題材にした作品を選び、「妻」「母子」「生と死」という3つのテーマのもとに、有隣荘の各室に配しました。それぞれに表現された「家族のかたち」を、家族のために建てられた有隣荘の秋のたたずまいの中でご堪能下さい。

今橋から大原美術館本館を眺める(2020)

大原美術館・本館の設計も薬師寺主計。1930年4月に着工して、11月5日に開館という突貫工事で、施工費5万円(現在の価格で1億5千万円)でしたが、前年の1929年は、ニューヨーク株式市場の大暴落に始まる世界恐慌が日本も直撃し、倉敷紡績も大幅な欠損に見舞われます。そのような状況の中で、日本国内最初の私立西洋近代美術館が出現した事は驚天動地の大事件だったでしょう。尚、左右にロダン作の彫像を配した本館玄関は、石造建築のように見えますが、イオニア式の柱も鉄筋コンクリート造で、左官が表面を石粉をモルタルと混ぜた人工石材で模しているとの事。尚、倉敷川に架かる今橋(5種20面の龍の模様が彫られている)は、児島虎次郎によってデザインされたもので、辰年生まれの大原孫三郎に因んでいるとお聞きしました。

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