岡山県南端にある宇野港の西側緑地に山陽時報社(現・山陽新聞社)が寄贈した水道記念碑が建立されています。1910年6月12日に宇野線の開通と同時に連絡船が発着するようになった宇野港と、国鉄の宇野駅のために敷設された簡易水道は、1940年9月に玉野市が市制施行する前の宇野町が、1920年6月に田井・高下田で井戸を掘削。それを水源に起工され、1922年4月に竣工して通水に至ったのですが、豊富な水資源のないこの地域で暮らした先人、水道事業に携わった方々のご苦労は並大抵でなかったでしょう。今日の水道状況について思いを馳せると感謝しきれません。
それでも、玉野市内のほぼ全域に供給されるようになるには、高梁川を水源とする岡山県南部上水道配水組合(現・岡山県南部水道企業団)から分水され、各所のポンプ所から山頂に作られた配水池に送水出来るようになる1954年まで待たなければならなかった。因みに1969年には、海底管を通して香川県の直島町へも送水されるようになりました。

1966年、国連は、法的に拘束するものではなものの「水を得る人権は人間らしい生活を送るために不可欠である。それは他の人権を実現する前提条件である」と指摘。2002年11月には、十分な量の清潔な個人・家庭用水に対するアクセスが、すべての人々の基本的人権であることを確認。2004年3月には、環境の健全性や貧困と飢餓の根絶を含む持続可能な開発のためには水がきわめて重要であり、人間の健康と安寧に不可欠(命のための水)であることを認識。2010年7月、誰もが1日当たり50〜100ℓの安全な水を利用する権利があり、給水の費用は、家計所得の3%を超えるべきでないこと。水源は自宅から1,000m以内で、水を汲みに行く時間は30分を超えるべきでない事が再認識されました。
日本の上水道は、1590年に徳川家康の命で造られた神田上水が起源と伝えられています。そして、横浜に近代水道が初めて造られました。1883年、英国陸軍大佐のヘンリー・スペンサー・パーマー氏を顧問に迎え、相模川と道志川の合流支店を水源に水道の建設に着手し、1887年10月に給水を開始。当時の日本は、雨水や河川、井戸水に頼る生活だったため、腸チフス、赤痢、コロナなどの水系感染症に苦しんでいました。横浜も海を埋め立てて拡張した土地だったため、ほどんどの井戸水は塩分を含み飲み水には適していなかった。横浜に続き、函館、長崎、大阪、東京、広島、神戸で完成し、1905年7月に全国で8番目に通水したのが岡山で、倉敷市は、1916年に当時の玉島町で通水が開始されました。
因みに、水道水の原水となる河川や湖の水には、植物プランクトンなど病気の原因となる微生物などが含まれている恐れがあるため、強い殺菌力のある塩素で消毒していますが、残留塩素量によっては「カルキ臭」を感じる事がありますよね。しかし、玉野市で供給されている水道水には、原水の優れた水質と高度浄水処理のお陰で、まったく「カルキ臭」が感じられません。浄水器を通さなくても安全安心な飲料水を口にできるって素晴らしい。因みに、水道で提供されている水をそのまま飲める国は、日本を含めて僅か12ヵ国とのこと。

2019年に厚生労働省が発行した資料によると水道水の生産費用は、職員給与費、減価償却費、支払利息、受水費などで構成されていて、水道水1トン当たりの生産費用は、全国平均が164円。岡山県が145円。全国の一般家庭の支出費用(下水道料金含む)は、月4,130円。玉野市は、使用量月20トン未満の場合に2,180円と岡山県内の15市の内では、倉敷市(中核市54市の内では、安価順位1位)と並ぶ安い料金水準となっています。但し、人口が減り続けている地方では、水道による収入も当然のように減り続けていて、上水道の老朽管の若返りに使える財源も枯渇しつつあります。
先日、三菱ケミカル・Cleansui の水会議・水から未来を考える 2022 に参加して改めて痛感したのですが、今こそ各地で暮らしている住民の理解を得つつ、次世代のために水道料金の適正な値上げを甘受して貰うための決断が必要なのだと思いました(2022年3月23日、追記)。