岡山県南端にある玉野市の宇野港フェリーターミナルの西側に作られた緑地に山陽時報社(現・山陽新聞社)が寄贈した水道記念碑が建立されています。1910年6月12日に宇野線の開通と同時に連絡船が発着するようになった宇野港と、国鉄(現・JR)の宇野駅のために敷設された簡易水道は、1940年9月に玉野市が市制施行する前の宇野町が、1920年6月に田井・高下田で井戸を掘削。それを水源に起工され、1922年4月に竣工して通水に至ったのですが、豊富な水資源のないこの地域で暮らした先人、水道事業に携わった方々のご苦労は並大抵でなかったでしょう。今日の水道状況について思いを馳せると感謝しきれません。
それでも、玉野市内のほぼ全域に供給されるようになるには、高梁川を水源とする岡山県南部上水道配水組合(現・岡山県南部水道企業団)から分水され、各所のポンプ所から山頂に作られた配水池に送水出来るようになる1954年まで待たなければならなかったそうです。2023年現在、玉野市内の水道普及率は99.3%。因みに1969年には、海底水道管を通して香川県の直島町へも送水されるようになりました。
水道は、私たちの生活に不可欠な水を安定的に供給する施設であり、生活基盤として欠かすことができません。本市の水道は、1922年に築港と宇野地区の一部を給水区域として創設された宇野町の水道(田井水道)が前身となっています。また、同時期には以前から工事が進められていた八浜上水道も供給を開始しています。
広報たまの 2023年6月号より
その後、1936年に玉地区への供給も開始され、1940年に市制が施行されると、水道も田井水道と玉水道を統合し、玉野市上水道としての運用が開始されました。市制施行後は、造船所や製錬所などの重工業の急速な発展や人口の増加に伴う水需要に対応するため、順次拡張工事が行われ、2009年度からの第8次拡張変更事業を経て、現在に至っています。
1966年、国連は、法的に拘束するものではなものの「水を得る人権は人間らしい生活を送るために不可欠である。それは他の人権を実現する前提条件である」と指摘。2002年11月には、十分な量の清潔な個人・家庭用水に対するアクセスが、すべての人々の基本的人権であることを確認。2004年3月には、環境の健全性や貧困と飢餓の根絶を含む持続可能な開発のためには水がきわめて重要であり、人間の健康と安寧に不可欠(命のための水)であることを認識。2010年7月、誰もが1日当たり50〜100ℓの安全な水を利用する権利があり、給水の費用は、家計所得の3%を超えるべきでないこと。水源は自宅から1,000m以内で、水を汲みに行く時間は30分を超えるべきでない事が再認識されました。
日本の上水道は、1590年に徳川家康の命で造られた神田上水が起源で、近代水道の初創設は横浜でした。1883年、英国陸軍大佐のヘンリー・スペンサー・パーマー(1838〜1893)を顧問に迎え、相模川と道志川の合流支店を水源に水道の建設に着手し、1887年10月17日に給水を開始。当時の日本は、雨水や河川、井戸水に頼る生活だったため、腸チフス、赤痢、コロナなどの水系感染症に苦しんでいました。横浜も海を埋め立てて拡張した土地だったため、ほどんどの井戸水は塩分を含み飲み水には適していなかった。横浜に続き、函館、長崎、大阪、東京、広島、神戸で完成し、1905年7月に全国で8番目に通水したのが岡山で、倉敷市は、1916年に当時の玉島町で通水が開始されました。
因みに、水道水の原水となる河川や湖の水には、植物プランクトンなど病気の原因となる微生物などが含まれている恐れがあるため、強い殺菌力のある塩素で消毒していますが、残留塩素量によっては「カルキ臭」を感じる事がありますよね。しかし、玉野市で供給されている水道水には、原水の優れた水質と高度浄水処理のお陰で、まったく「カルキ臭」が感じられません。浄水器を通さなくても安全安心な飲料水を口にできるって素晴らしい。因みに、水道で提供されている水をそのまま飲める国は、日本を含めて僅か12ヵ国とのこと。
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講演会:出野雄也(終了)
伊奈忠治にみる江戸初期の治水と利水
日 時:2023年10月8日(日)
14:00〜16:00
定 員:70名(事前申込制)
会 場:東京都水道歴史館
東京都文京区本郷2-7-1
03-5802-9040(講演会受付担当)
代官頭の伊奈忠次(1550〜1610)のもとに生まれた伊奈忠治(1592〜1653)は、父から代官職を継承して江戸初期に活躍しました。赤山陣屋(埼玉県川口市)を築き、いわゆる「利根川東遷」と「荒川西遷」の治水・利水工事に取組むことで江戸の後背地を開発し、晩年には玉川上水の開削に着手しました。出野雄也氏(川口市教育委員会 教育総務部 文化財課 学芸員)の本講演では江戸発展を支えた伊奈忠治の業績をご紹介します。
玉野市は、1978年に大渇水に見舞われ210日間、1日19時間断水していた小豆島(小豆島町)に給水船による「友情給水」を行っていますが、1994年の夏は全国的に異例の猛暑・小雨で、流石の高梁川水系のダム貯水量も底をつき、倉敷市、玉野市など11市町村の一般家庭も8〜16時間断水に追い込まれ、弊社の船舶給水業務も138日間の休止を余儀なくされました。
2019年に厚生労働省が発行した資料によると水道水の生産費用は、職員給与費、減価償却費、支払利息、受水費などで構成されていて、水道水1トン当たりの生産費用は、全国平均が164円。岡山県が145円。全国の一般家庭の支出費用(下水道料金含む)は、月4,130円。玉野市は、使用量月20トン未満の場合に2,180円と岡山県内の15市の内では、倉敷市(中核市54市の内では、安価順位1位)と並ぶ安い料金水準となっています。但し、人口が減り続けている地方では、水道による収入も当然のように減り続けていて、上水道の老朽管の若返りに使える財源も枯渇しつつあります。
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企画展:water(終了)
会 期:2007年10月5日(金)〜2008年1月14日(日)
10:00〜19:00(入場は18:30まで)
入場料:1,400円(一般)
会 場:21_21 DESIGN SIGHT
東京都港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン ミッドタウン・ガーデン
03-3475-2121
21_21 DESIGN SIGHT は、世の中のあらゆる事象をデザインの視点で見る場である。
佐藤 卓
そのような意味で水はあまりにも日常的なもので、デザインとしてのテーマ設定が可能なのかと思われるほど一見無形で頼りない。しかし、あえてこのどこにでもある水をテーマにしてみると、それはとてつもなく広く深く、頼りないどころか我々生命そのものであるということ。そして自然界を支える構造体ですらあるということが分かってくる。つまり水というテーマを設定するということは、この物質と関わりのないものはこの世にはなく、必然的に「水で世界を見てみる」ということになる。
ここで水というものをデザインのメタファー(隠喩)として置き換えてみると、水はまさに人々のコミュニケーションそのものであり、化石燃料に頼った、力でねじ伏せる20世紀的デザインから脱却するための21世紀デザインのヒントが確実にそこにあると思えてくる。そして自然と折り合いを付けながら暮らしてきた日本本来のデザインが浮かび上がってくるのである。
日本は水が豊かな国である。それは今や嘘である。食料自給率4割で海外に依存する水利用の現実を知ってしまうと、もうそのような絵空事は言っていられない。水に耳を傾けて、水に聴く。どうもこれから水が多くのことを教えてくれそうである。
「枯木に花咲くに驚くより、生木に花咲くに驚け」(三浦梅園)―― おそらくデザインとは、このようにありふれた世界を新たな眼で発見する感性の「窓」をひらく営みだ。この世はこんなに驚きに満ちているのに、それに一度も気づかずに生きていくとしたら、それほどもったいないことはない。世界をみる「解像度」を高めていく回路を、学校も社会も提供してくれないなら、デザインという手段でそれをやるしかない。
竹村真一
水という最もありふれた、しかし最も「有難い」物質にあらためて驚いてゆくプラットフォームを用意することで、私たちが忘れている本来のライフスタイル(生命のスタイル)を再発見してみたい。また私たちが日常的に触れる水 ―― ここに降る雨、蛇口の水、そして食べ物のバーチャルウォーターの「来し方、行く末」を可視化することで、私たちの感性や想像力をもっとブロードバンド化しうるはずだ。今回の企画はその意味で、館内に閉じた作品展示ではなく、社会の、世界の、そして私たち自身の内なる水のリアルに触れてゆくデザイン実験を数多く盛り込んでいる。水の魔法にようやく気づいた人類が、「水の世紀」を水争いの世紀としてしか生きられないとしたら、これまたもったいない話ではないか。それを水惑星に生きる祝福の世紀とするために、デザインというプラットフォームを供与してゆく試みをここから始めたい。
先日、ユーザーの一人として三菱ケミカル・Cleansui の水会議・水から未来を考える 2022 に参加して改めて痛感したのですが、今こそ各地で暮らしている住民の理解を得つつ、次世代のために水道料金の適正な値上げを甘受して貰うための行動が為政者に必要だと思いました。決断を!(2022年3月23日、追記)。