白 信鍾さん

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1986年の夏、韓国・鬱陵島の民宿で出会った韓国人の白信鍾(ベク・シンジョン)さん

鬱陵島にて(1986)
鬱陵島にて(1986)

浦項旅客ターミナルから鬱陵島に向かう高速艇で女性グループが海に向けて哀惜の合唱をしていたパワーに衝撃を受け、到着した港の民宿で温かい風呂が得られず翌日移動したホテルでは、女性スタッフに誘惑されるという危ない場面も経験(笑)。韓国は、半端じゃない 😅

白さんの友人と瀬戸大橋にて(1986)

その2年後、彼が2人の友人を伴って来日してくれた際には、拙宅に泊まっていただき岡山後楽園や倉敷の美観地区、瀬戸大橋などをご案内しました。ただ、彼らの大皿の豪華な刺身盛りを目の前にして皇帝気分を味わいたいという要望は、予算の関係上で却下したのですが、「一番好きな韓国料理は?」と聞かれ、「ロッテホテル・ソウルで食べた参鶏湯だ」と答えると、「君は、まだ犬肉を食べてないんだね。あれは、絶品だぜ」と皮肉っぽい笑顔を浮かべたのでした 😅

こちらは、1986年に訪ねた玉野市の友好都市・忠武市(現・統営市)の港湾風景とこれでもかと並べてくれた韓定食。女将さんの自慢げな笑顔も記憶に残っています。当時は、日本円で800円ほどでした。

1990年には、英語が苦手な白信鍾さんと、英語も大丈夫な黄白炫(ファン・ベッキョン)さんと大阪の串カツ屋で会食し、旅の思い出話に花を咲かせたことがあるのですが、別れ間際に交換した名刺がちょっと問題でして・・・「おいおい、克日運動とは、ただ事ではないな」って悪戯っぽく問いつめたのですが、上機嫌の2人は「ケンチャナヨ」って笑っていました 😅

余談ですが、その当時、自分の「飾らない言動」によって玉野海上保安部や宇野税関支署、玉野警察署から「不審者」としてマークされていたようで、宇野港に停泊していた韓国籍の貨物船を訪ねて下船した瞬間、3台の車と10名ほどの係官に取り囲まれ、「固形物は所持していないか!」と逮捕寸前(多分、麻薬取引の疑い)という事態を経験しました。その時、手に持っていたのは、当時親しくしていた船長から分けて貰ったキムチ・・・あれは、当局の完全な過失でしたね 😅

そのような騒動があった後日、『韓国居昌の白信鍾です。メールアドレスを教えますので連絡をお願いします』と手書きの日本語でのファックスが会社に入ったのですが、見覚えのある白さんの筆跡ではなかった(謎・2006年8月10日、追記)。

「今夜は、あまりに気持ちが良くてなかなか眠ることができないです。15年前に大阪で会食した夜を思い出します。時々、私は、あなたの白くて清い笑いを思い出しています。韓国訪問を待ちこがれています。9月4日~6日まで、鬱陵島と独島へ行ってきます」というメールが飛び込んできた。彼は現在、慶尚南道の道議会副議長(ハンナラ党)として活躍されているようです(2006年8月30日、追記)。

慶尚南道の道議会が公式訪問で福山、山口、熊本を廻るそうです。20年前に白さんと一緒に拙宅に泊まった友人も一緒のようです(2006年10月24日、追記)。

慶尚南道の議員団が山口県と福岡県を公式訪問するというので、白さんに会うため福岡市まで出向きました。前日の山口県でのレセプションは、こちらの都合が悪くて欠席。その後も先方のスケジュールが流動的で心配していましたが、福岡県議会事務局のご配慮で無事に赤カーペットの上で出迎えることが出来て、訪問団一行のバスにも乗り込み、宿泊先への移動にも成功。最初、変な日本人が乗り込んで来たなと訝っていた議員団一行でしたが、白さんから紹介された後は、「おい、俺の妹を紹介するぞ!」、「ねえ、私と付き合わない?」なんていうジョークの連発で一気に和やかな雰囲気に。

彼は、「故郷の風景が変わらない内に、スケッチに来て下さい。僕は、アーティストの支援をしたい」なんてことを言う変わり者ですが、相変わらずの「カンペイ!」と「ベッドで一緒に寝よう」って迫ってきて、予約していたコーナー・スイートは、同室だった議員に奪われてしまう顛末はいつも通り。別れ際、前述のファックス送信者は、日本を研究している白さんの知人ということが判明したのですが、彼の名前を使って接触してきた事に納得出来る筈もなく、今も何だかなぁと思っている次第です(笑・2006年11月10日、追記)。

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