海の博物館

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海の博物館は、建築家・内藤廣による新たな空間を手に入れて見事なハーモニーを奏でていました。館内への入り口に立った瞬間から期待が高まりますが、明治時代のカツオ一本釣りに使用されていた和船・八丁櫓のある大空間は圧巻。現在、木造船や漁具など海に関する資料を約60,000点収集、収蔵(6,879点の国指定重要有形民俗文化財を含む)。海と深い関わりをもって暮らしてきた人々の歴史を体系的に学べます。伊勢神宮に参拝した際にでも少し足を伸ばして立ち寄って欲しい。

地元の伊勢湾や熊野灘での独特の漁法、信仰などを模型や資料で丁寧に紹介されていていますが、沖縄のサバニなど、日本各地から消滅しつつある小型木造船の蒐集、展示は特に貴重だと思いました。ちなみに、私の愛艇だったノラ21 を設計された日本ヨット界の草分け・横山晃さんが保針性(直進性を維持する性能)の良い理想的な船型をサバニに見いだした話は有名。

先人は、海にまつわる言葉も多く残しています。「舵取りを任す」、「大船に乗ったつもりで」、「船出を祝う」、「渡りに船」、「海図なき船出」、「待てば海路の日和あり」など常世からの波が打ち寄せるという地・伊勢神宮への参拝の際に立ち寄られ、海に想いを寄せてみるのも一興かと思います。内藤廣さんが、自分の心の中を掘り下げてゆくことで立ち現れてくる「素形」を、世の中(他人)とシンクロするための拠り所にしていると語る建築手法の講演録は、こちら。動画は、あちら

海の博物館

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

特別展:鳥羽の漁村 小浜
    漁師の知恵、漁具の工夫、魚介の供養
会 期:2023年4月22日(土)〜6月25日(日)
    9:00〜16:30
入館料:800円(一般)
会 場:海の博物館・特別展示室
    三重県鳥羽市浦村町大吉1731-68
    0599-32-6006

三重県鳥羽市小浜町は、鳥羽市の最も北に位置する海辺の集落です。令和5年現在、戸数396戸、人口753人が暮らしており、鳥羽磯部漁業協同組合の正組合員13人、准組合員29人の計42名の漁師たちがタコツボ漁、釣り漁、刺網漁、ワカメ養殖、カキ養殖などを営んでいます。

大正10年頃(いまから100年前)の『三重県漁村調査』によると、小浜の戸数は189戸、うち専業漁業141戸、兼業漁業20戸とあり、総人口1077人のうち漁家人口が810人を占めていて、ほとんどの家が漁業で生計を立てていた「漁村」であったことが記録されています。

当時の小浜の漁業種類は「鯔建切網(ぼらだてきあみ)漁業」(1組)、「雑魚延縄(ざつぎょはえなわ)漁業」(150艘)、「雑魚釣(ざつぎょつり)漁業」(150艘)、他に「瀬建網(せたてあみ)漁業」(12艘)、「手繰網(てぐりあみ)漁業」(12艘)などで、鯛、蛸、黒鯛、鱸、鮃が多く捕れ、鮫、鰈、鰆も捕っていたことが明記されています。

小浜地区は、旧海の博物館が立地していた場所から一番近い漁村です。従って、博物館が漁村資料の収集活動を始めた昭和45年頃から50年代には、小浜の漁家から、鯔建切網漁、鯛延縄漁、一本釣漁などに使われた数多くの漁具や漁具製作に使った資料を寄贈していただきました。

今回の特別展では、小浜の漁家から寄贈され、文化財収蔵庫内で大切に保管している漁具やその製作道具類を中心に展示して紹介をします。これらの資料は、江戸から明治、大正、昭和の時代に天然素材を材料に手作りでつくられ、漁師たちに使われてきたものです。また展示場では、小浜の人々に伝わる漁や魚にまつわる小噺や言い伝えを紹介、古い写真なども展示します。

そして、現在も済渡院(お寺)の境内に建つ「鯐」(すばしり)、「鯔」(ぼら)、「鰶」(このしろ)、「螠」(ゆむし)を供養する5つの石碑「南無阿弥陀仏鯐鰡供養塔」(2基)、「南無阿弥陀仏鯐鰡鰶供養塔」、「南無阿弥陀仏螠供養塔」(2基)について、その設立の年月日、碑文の記録などを紹介することで、小浜周辺の海で現在では考えなれないような「鯔の大漁があったこと」、また螠をとるための漁師の知恵と工夫が「鯛の豊漁に繋がったこと」などをお伝えします。

漁師たちの知恵や工夫がつまった多くの種類の漁具、大漁や豊漁の喜びと魚介を供養する漁村の暮らしなど、ひと昔前の鳥羽の漁村「小浜」を知っていただける展示です。

玉野海洋博物館

そういえば、玉野市にも海洋に関する陳列館と海洋生物などを展示している水族館を備えた玉野海洋博物館(愛称:渋川マリン水族館)があります。瀬戸内海の魚類、野外プールの海亀や珍しいキタオットセイ、魚類剥製や貝類標本、歴史的な船の模型、ツチ鯨の標本など、それぞれ見応えがありますよ。

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