離島生活支援船

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アイキャッチ画像は、定期船の通わない離島(石島、屏風島)に小荷物や人を運ぶのに使用した離島生活支援船・飄(ひょう)@石島。島民からの依頼で食料品などの買い物代行も行い、海上タクシーとして活用しつつ、週2回の運航を14年間続けました。

採算的には、トントンだったけれど、島民とのつかず離れずの距離感がとても心地良かった。街では、「おっさん」の僕も、島では、「おにいさん」ですし、ワタリガニやゲタ(舌平目)、モエビ、ニシ貝、サザエ、イカ、大ダコ、フグ、海苔など、自宅の食卓に上る魚介類は、ほとんど漁師からの「いただきもの」で間に合ったのは嬉しい誤算でした(笑)。また、県営の浮桟橋を格安で専用させて貰った事、船で海に出ることで適度な緊張感が得られ、船からの乗り降り、島中を荷物車を押しながら歩き回ることで足腰も鍛えられ、休日の釣りなどに活用出来たのも収穫でした。

石島にて

2005年9月、カンボジアのジェムリアップを旅していた間に、初代(ヤンマー・はやぶさ28)が台風14号の強烈な南風を受けて岸壁と接触、ブリッジと船尾が大破してしまった。業者によると修理に3ヶ月、費用も300万円ほどかかるというので、泣く泣くヤンマー・サルパ30を購入(笑)。オプションのバウローラー、GPSなどで900万円ほどになったけれど、狭い漁港内での取り回しが楽なドライブ仕様で、最高速度30ノット(約55キロ)、波高1.5m 程度の波浪でも安定した走りでした。

シロギス釣り@直島沖 🤣

2012年5月12日、親しくしていただいた島民から労いの言葉をいただきつつ最後の航海を終えました。1998年9月29日の事業開始から約1,500回の航海で、約18,000キロを走破。丁度、瀬戸内海からアメリカ西海岸までの距離になります(笑)。

飄プロっジェクト

最近、つくづく思うのですが、良いデザインとは、良い「骨格」を作ること。造形には、好き嫌い、流行、廃りがある。家も街も都市も国も同じで、美しさよりも大切なのは、未来へのギフト・健康的な「骨格」を作る事なのではないか? 1997年、宇野港再開発計画が行政主導で推し進められていることに危機感を感じ、その真ん中に楔を打ち込むプロジェクトなどを経験して、そのように思うようになりました。

その頃、書家の渾 彩秀さんにプロジェクトのシンボルに掲げた「飄」という文字(離島生活支援船やヨットの船名にも用いました)を揮毫していただいたのですが、「この文字にどのようなイメージを込めたいのですか?」と問われ、答えに窮してた時に教えていただいたのが 、たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)という標語でした。19世紀半ばまで、パリは動乱に満ちていたそうです。「荒天に見舞われ、帆布も舵も失い、波風に翻弄されても、決して船は沈ませないぞ」というメッセージでしょうか? 花の都・パリ市の紋章・帆船に添えられているこの標語には、そうした逆境を乗り越えたパリ市民の心意気が感じられます。

僕は、ヨットやモーターボートで年間100日ほど海に出ますが、そこは、嘘やハッタリが一切通用しない世界。ヨット・ビルダーで友人でもある外洋航海者の池川富雄さんも、「海上の変化は、時々刻々、アマチュアだから海も少しは手加減してくれるかというとそんなものではありません。海は、アマチュアにもプロにも、金持ちにも貧乏人にも、良い船にも悪い船にも、年寄りにも若者にも、地位や名声がある人にも無名の人にも、全く公平にその荒々しさや優しさを見せてくれます。だから素晴らしい」と、語ります。

だからといって、慣れた海ばかりをなぞって無事に港へ帰ってきても、それを航海と呼ぶにはふさわしくない。荒れた気候の中をくぐり抜けた時は、確かに気持ちが高揚して気分がいい。自然に対する能力を開発していかなければ、見えてこない世界がある。海に限らず、自然に深い敬愛の念を抱いている人の眼差しは信頼するに値すると考えます。楽しさの充足を主とする社会の形成、それに安全と利便を調和させたい。

宇野港第7桟橋にて(2006)

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