離島生活支援船

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池川さんから譲って貰ったノラ21@宇野港の第7桟橋(2006)

比較的穏やかな瀬戸内海も嘘やハッタリが一切通用しない世界。ヨット・ビルダーで外洋航海者の池川富雄さんからは、「海上の変化は、時々刻々、アマチュアだから海も少しは手加減してくれるかというとそんなものではありません。海は、アマチュアにもプロにも、金持ちにも貧乏人にも、良い船にも悪い船にも、年寄りにも若者にも、地位や名声がある人にも無名の人にも、全く公平にその荒々しさや優しさを見せてくれます。だから素晴らしい」と教わりました。自然に深い敬愛の念を抱いている人の眼差しは信頼するに値します。

ただ、穏やかで慣れた海ばかりをなぞって無事に戻ってきても、それは航海と呼ぶには相応しくない。荒れた海に対する能力を磨かなければ、見えてこない世界があるように、日々の暮らしにも楽しさの充足を求めつつ、共に安全と利便、利潤を調和させる仕事が出来たらと願っています。

初代の離島生活支援船(ヤンマー・はやぶさ28)@石島(2005)

こちらは、弊社の宇野港事務所に届く宅配便や小荷物、買い物を代行した食料品などを積み込み、定期船の通わない離島・石島屏風島に週2回の運航をしていた初代の離島生活支援船。時々、海上タクシーとして活用しつつ、1998年9月29日の事業開始から2代目に乗り継ぎつつ2012年5月12日まで、のべ約1,500回の航海で約18,000キロを走破。これは丁度、瀬戸内海からアメリカ西海岸までの距離になります 😅

石島にて(2011)

離島生活支援船の運航は採算的にはトントンだったけれど、島に暮らす人たちとの距離感がとても心地良かった。街では、「おっさん」の僕も、お年寄りの多い島では、「おにいさん」なのです(笑)。漁から帰ってきた知り合いの漁船に近寄って微笑みかければ、生け簀に活かしている市場で値が付かない小魚を「好きなだけ持って帰れ!」と声を掛けてくれる事も頻繁にありました。

当時、ワタリガニやゲタ(舌平目)、モエビ、ニシ貝、サザエ、イカ、大ダコ、フグ、海苔など、自宅の食卓に上る魚介類が「いただきもの」で間に合ったのは、嬉しい仕事の誤算でした。魚介類以外にも、自家消費分として家庭菜園で育てた野菜類を、始末に困るほどいただきました。ただ、漁師さんからプレゼントされた大ダコを船の生簀(アサリなどを購入して餌として与えていた)で飼っていたら情が移って食べられなくなり放流するという「美談」もありましたが(爆)。

また、離島生活支援船を運航することで、岡山県営の浮桟橋を格安で「占有」させて貰った事、船で海に出ることで適度な緊張感が得られ、船からの乗り降り、島中を荷物車を押しながら歩き回ることで足腰も鍛えられ、休日の釣行などに活用出来たのも思ってもいなかった収穫でした。

シロギスを狙った釣行(2011)

2005年9月、カンボジアのジェムリアップに訪問していた時、初代・離島生活支援船が台風14号の強烈な南風を受けたロープが緩み岸壁と接触しブリッジと船尾が破損! 修理に3ヶ月、費用も300万円ほどかかるというので泣く泣く新艇を購入(笑)。

こちらは、その事故が起きていた時にクメール伝統織物研究所を訪ねていた時の画像。隣では、30名ほどの若い女の子たちが楽しそうに談笑している。赤ん坊を抱きかかえながら作業している若いお母さんもいる。僕の足元には、名前も付けられていない犬が寝ころんでいる。この時、2004年に第11回 ロレックス賞を受賞された代表の森本喜久男さん(1948〜2017)に、カンボジアのシェムリアップでの活動について、1時間ほどお話をお聞きしました。

ここが人事部で、こちらが経理部、そして営業部、やっと会社らしくなりました。

僕も走りながら考えるタイプですよ。今、ここと綿花や桑畑を栽培している村で作業している者を合わせると、約500人の社員がいます。収入の90%は、この研究所の隣にあるショップの売上に頼っているのですが、いつも現金が足らなくて度々給料が遅配になります。うちの経理はガラス張りですから、社員全員が納得の上でその現金を山分けにします。そんな訳で僕は、ずっ〜〜と無給なのです。

カンボジアに平均月給ってないんです。僕の処の月給は、30ドル(US)から始まって最高で100ドルぐらい。今後(今、中国などからの下請け需要も旺盛で)、カンボジア人の所得が上がってくると、ここは経営的にはますます苦しくなるでしょうね。それでもね、ここの若いスタッフたちが志を忘れずに成長してくれたら、自ずと道は開けると思いますよ。ま、正直、今後のことは解らないですが、僕もまだまだ頑張れると思うよ。

僕は、ここの空気が好きです。数年前、スタッフを日本に連れて行ったのだけれど、彼、街に出た途端、ここには空気が無いって青ざめちゃってね。帰国するまで一歩もホテルから出ようとしなかったんだ(笑)。

森本喜久男
画像左:揮毫・渾 彩秀 画像右:宇野港フェリーターミナル・離島航路棟(2012)

昔々、パートナーから、「貴方を漢字一文字で表すなら飄(ひょう)かしら」と告げられた事がありました。飄とは、旋風(つむじかぜ)の意ですが、飄々とか飄逸と綴れば、世間離れしていて、呑気でとらえどころがないとなる。一瞬、からかわれたと思ったけれど、よくよく考えるとなかなか味わいがある(笑)。

最近、つくづく思うのですが、心地良いデザインとは、まず適切な「骨格」を作ること。造形には、好み、流行、廃りがある。大切なのは、未来への健康的なギフト・「骨格」を作る事なのではないのか? 1997年、宇野港再開発計画の一つである宇野港フェリーターミナル再編計画が遅延していることを知り、プロジェクトを立ち上げた経験などを経て、そのように思うようになりました。

宇野港フェリーターミナル再編に携わっていた頃、書家の渾 彩秀さんにプロジェクトのシンボルに掲げた「飄」という文字(離島生活支援船やセーリングヨットの船名にも用いました)を揮毫していただきました。その時、「この文字にどのようなイメージを込めたいのですか?」と問われ、答えに窮してた時に教えていただいたのが 、「たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)」という標語でした。

19世紀半ばまで、フランスのパリは動乱に満ちていたそうです。「荒天に見舞われ、帆布も舵も失い、波風に翻弄されても、決して船は沈ませないぞ」というメッセージでしょうか? 花の都・パリ市の紋章・帆船に添えられているこの標語には、そうした逆境を乗り越えたパリ市民の心意気なのでしょう。

2代目・離島生活支援船(ヤンマー・サルパ30)@宇野港の第7桟橋(2006)

狭い漁港内での取り回しが楽なドライブ仕様で、最高速度30ノット(約55キロ)、波高1.5m 程度の波浪でも安定した走りでした。

愛艇の並留@宇野港の第7桟橋(2006)

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