少々雑然とした印象のJR丸亀駅前の掃き溜めに鶴と言ったら丸亀市民から怒られますが、建築家・谷口吉生さんの設計で1991年に開館した丸亀市猪熊弦一郎現代美術館は、内外ともに魅力満載です。画家・猪熊弦一郎さん(1902〜1993)が、美術館正面の大壁画用にと提案した原画には、全面に色々な絵が描かれていたそうです。それを谷口さんが遊びの余白が欲しいとホワイト・インクで一部を消したて採用したとのこと。館長室には、猪熊さん直筆の「美術館は心の病院」という額が飾られているそうです。近年、カフェ MIMOCA(2020年6月2日のリニューアル・オープン時からは、「まちのシューレ963」 が運営)から見上げる空に「異物」が侵入したのが至極残念(涙)。

猪熊さんから寄贈された約2万点を紹介する常設展は勿論、現代アートを中心とした企画展も見応えがあります。現代美術家・エルネスト・ネトの作品展は、特に印象に残っています。

NEWS! ご案内をいただきました 🤣
企画展:大竹伸朗 展
網膜
会 期:2025年8月1日(金)〜11月24日(月・振休)
10:00〜18:00
観覧料:1,500円(一般)
会 場:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館
香川県丸亀市浜町80-1
0877-24-7755
大竹伸朗(1955〜)は、1970年代後半より作品発表を始め、ドクメンタやヴェネチア・ビエンナーレなど重要な国際展への参加を経て、近年では東京国立近代美術館を皮切りに愛媛、富山へと巡回した大規模な個展まで、国内外での幾多の展覧会を開催してきました。その半世紀におよぶ活動を通じ、圧倒的な熱量が生み出した膨大かつ多様な作品の数々から、本展では〈網膜〉にフォーカスすることにより大竹の作品世界をさらに掘り下げようとするものです。
〈網膜〉シリーズは、1988年に制作の拠点を移した宇和島のアトリエで着想され、1990年代初頭まで集中的に制作されたあとも、他のシリーズへの展開を伴いながら制作が続けられてきました。網膜とはそもそも眼球の最奥にある、光を感受し視神経を介して脳に情報として伝える機能を担う薄い透明の膜ですが、大竹は、廃棄された露光テスト用のポラロイド・フィルムに残された光の痕跡を大きく引き伸ばし、その表面に透明の絵具としてウレタン樹脂を塗布する絵画作品のシリーズに、この名をつけました。分離している「写真像の色面」と「透明の塗膜層」の2つが私たちの網膜を介して脳内で統合され、「時間」と「記憶」を内包した新たな像として立ち現れます。現在制作中の新作の〈網膜〉でもさらなる更新が試みられる一方で、長期間放置され変質した感光剤は、そこに蓄積する時間を像として刻印し、その像を透明の塗膜層が幾重にも覆うことで、一貫して〈網膜〉が発する情景は未だ見ぬ記憶として見る者を揺さぶり続けます。
こうして新たに創り出された渾身の新作〈網膜〉12点に加えて、〈網膜〉に音と光を組み込んだ、高さ約3mのレリーフ状の新作、そして1990年代初頭に制作された未発表の大型〈網膜〉をはじめとした作品群が核となり、構想時のサイズに更新した大規模インスタレーション《網膜屋/記憶濾過小屋》(2024年)、2010年代半ばから続くグワッシュの連作〈網膜景〉や油彩のシリーズ〈網膜/境〉といった、「時間」や「記憶」を介して〈網膜〉と絶えず往還し続ける作品が骨格となります。本展では、さらに「眼」「フィルム」「写真」から〈網膜〉へと接続する膨大な数の作品をも取り込みながら拡がり続ける大竹伸朗の〈網膜〉世界を展観します。

こちらは、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館から徒歩で約20分(JR丸亀駅から琴電バスで香川労災病院前下車、徒歩4分)にある日本料理店・永楽亭。2002年、建築家・藤田 摂さんの設計で誕生。ご亭主は、野原 太さん。

懐石料理には、焼き物、揚げ物、煮物、蒸し物、炒め物などありますが、自分が「幸せ感」を感じられるのは椀盛の真薯(しんじょ)。温泉に首まで浸かった時の至福感に相通じるものがあります(笑)。ここは、鰻料理も名物ですが、画像がありません 😅

こちらは、瀬戸内国際芸術祭の会場にもなっている離島・本島の泊港にある本島パークセンター。館内には、ベンチやスツールが多数あり、本島スタンドというカフェ・レストランも併設。船の時間待ちに使い勝手が良いと思います。丸亀港の本島汽船を利用して旅客船で20分、旅客フェリーで35分。岡山県側からだと児島観光港からむくじ海運の旅客船で上陸できます。

こちらは、木烏神社周辺にある村尾かずこさんの漆喰・鏝絵による作品・「かんばんプロジェクト」と眞壁陸二さんの壁絵による「咸臨の家」。
この作品は、1850年に日本で初めてアメリカへ航海した帆船・咸臨丸の乗務員・横井松太郎の生家を舞台としている。「咸臨」とは、中国の易経から採られた言葉で、「君臣が互いに親しみ合う」ことの意味。身分差のあった時代において「(船の上では)位の上下なく誰もが平等で目的地に向かって力を合わせる」といったメッセージが込められており、希望と不安、生きて帰れるかどうかも分からない航海。目にするもの全てが驚きの連続であったことだろう。
眞壁陸二
現代社会において身分の差という差別はもはや無くなったが、人種、文化、宗教などの違いを認め合えず未だテロや戦争が続いている。「咸臨」という言葉を今様に「異なる価値観を認め合える多様性のある社会」というように解釈し世界は広く多様性に富み、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、ペルシアも海で繋がっている。様々な価値観と習慣があり、信じる神も様々だが違いを認め理解し合いたい。
また「咸臨の家」は、江戸絵画の杉戸絵や室内を埋め尽くすモスクのタイル画や教会のモザイク画、ステンドグラスなどが発想の原点であり、時代も国境も超えて様々な絵画の文化を咸臨的に捉えている。「生と死、無と無限、混沌と秩序」。多くの宗教家や哲学者、または芸術家が草木や海や山や星を見つめ答えの出ない神秘に挑んだように、この作品も瞑想し世界と人生を考え祈るようになる場所であって欲しいと願っている。