藤塚光政さん

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1981年、建築&デザイン系の月刊誌・Japan Interior Design の編集部で使い走りをしていて日常のように接していた倉俣史朗さん(1934〜1991)も参加して結成されたデザイン集団・メンフィス(MEMPHIS)の活動を目の当たりにした時の驚きは衝撃的でした。その後のデザイナーや建築家の多くは、彼らから開放的なインスピレーションを得て今を生き伸びていると言っても過言ではない。エットレ・ソットサスさん(1917~2007)は、今でも豊かな疑問です。気紛れで不確かな勝手気ままな意思には服従しないという自由人であり、学び、行い、教えるという営みを続けた真のアーティストだったと思います。

エットレ・ソットサスさん

異種との平和的共存を探る旅。彼らの作品は、機能主義的束縛の中で炸裂した爆弾だった。大晦日にミラノの自宅で心不全のため死去との事。心より哀悼の意を献げます(2008年1月7日)。

平和的な調和を希求するベクトルが強くなれば、表現の自己規制という罠に囚われてしまう。デザインは、そうした独裁力を秘めていることを忘れてはならない。デザインに対して唯一配慮されるべきことは、儀式の進行を促進できるオブジェを作ろうとすることです。すなわち、もろく、はかなく、不合理であやうい日々の状態のなかで、ふと凝縮できる瞬間をもたらすことができるような移行を起こすこと、それがデザインなのです。

エットレ・ソットサス
インタビュー | TOTO通信 2021年新春号

アイキャッチ画像は、東京で働いていた時にお世話になった写真家・藤塚光政さんを自艇でベネッセアートサイト直島の専用桟橋まで送迎した後に宇野港へ帰港している航跡。藤塚さんから「大前君の写真を撮ったから送るよ」と言われても、この距離じゃぁ気づきようもありません(笑)。因みに、手前の砂浜に大竹伸朗さんの作品・船尾と穴(シップヤード・ワークス)、右奥に大槌島瀬戸大橋の橋脚などが確認できます。この日の前夜、岡山市の食事処・PETIT PINE にお連れしたのですが、田中一光さん(1930〜2002)のデザイン室に勤務されていた経歴を持つ女将とは久々の再会だったようで懐かく昔話に花を咲かせておられました。

その当時を振り返ってみれば、三保谷硝子が製作した倉俣史朗さんの硝子の椅子と棚を代表の三保谷友彦さんと一緒に九十九里浜に運び砂浜の波打ち際まで運んで藤塚さんに撮影して貰ったのですが、後に藤塚さんも懐古されている通り、その作業がかなり大変だったという思い出を共有しています 😅

左:倉俣史朗とソットサス展@21_21 右:硝子の椅子

こちらは、六本木の防衛省の跡地に誕生したザ・リッツ・カールトン東京の見学を兼ねて立ち寄った倉俣史朗とエットレ・ソットサス展@21_21 DESIGN SIGHT。もしも、展示作品から一つだけ所有を許されるなら「ビギン・ザ・ビギン」かなぁ、なんて見果てぬ夢を抱きながら会場を後にしました(笑)。

ある時、屋外で硝子の椅子を撮影していたところ、子どもたちが集まり、『見えない椅子だ』と喜んでいた。椅子という実態を認めながら、言葉の上では見えないという、この僅かな透き間に実は広大な宇宙を見る思いがする。光が物体に当たり色として表出するのではなく、光そのものの中に渾然とした色を感じる。

日本の言葉に『音色』というのがある。僕のもっとも好きな言葉である。透明な音の世界に色を見、感じるその事に一番魅せられ、視覚的に確認できる安心さと、透(な)いものから色を感じ、色を想う。このふたつの欲深な色の世界にイマージュする。

倉俣史朗

ご案内をいただきました! 🤣

企画展:倉俣史朗とエットレ・ソットサス展(終了)
    夢見る人が、夢見たデザイン
会 期:2011年2月2日(水)~7月18日(月)
入場料:1,000円(一般)
会 場:21_21 DESIGN SIGHT
    東京都港区赤坂9-7-6 東京ミッドタウン・ガーデン内
    03-3475-2121

僕らが活動を始めた1960年代の初頭は、日本も敗戦から立ち直り経済復興の真っ只中。優秀なデザイナーがたくさんいましたが、中でも倉俣さんはヒーロー的な存在でした。例えば、彼の素材の使い方。どんな素材も彼の手にかかると、見たこともない魅力的なデザインに生まれ変わっている。人間的にも、仕事の上でも僕たちは皆、倉俣さんを心から尊敬していたのです。日本のデザインはギュッと詰まって無駄がなく合理的ですが、倉俣作品には不思議な空気感が満ちていて、僕らには表現できない世界なのです。彼と出会わなければ、僕の仕事も違っていただろうと思います。

ソットサスさんに最初に会ったのは、1960年代後半、パリの装飾美術館で開催されていたオリベッティの展覧会だったと思います。彼は、建築家、デザイナー、詩人、写真家、まさに天賦の芸術家だった。同時に「メンフィス」のようなデザイン運動を仕掛け、雑誌『TERAZZO』を監修するような編集能力もあった。けれども、人は頭で行動するが、もっとも大切なのはフィーリング、タッチだと語ってくれました。

芳香を放ち続ける倉俣さんの作品と、彼が尊敬し影響を受けたソットサスのデザインを、次の時代をつくる人々にぜひ伝えたい。そんな思いで、倉俣史朗とエットレ・ソットサス展を企画しました。

三宅一生
藤塚さんからいただいたメッセージ・カード

個 展:藤塚光政・写真展(終了)
    倉俣史朗・To be free
会 期:2009年5月14日(木)〜6月13日(土)
会 場:ギャラリー「夢のカタチ」
    東京都港区西麻布1-8-4
    03-3408-1256

この写真展でも紹介されていた倉俣さんの仕事には、ほぼ同時進行的に体験させていただきました。特に、三保谷ガラスが制作した硝子の椅子(1976)や硝子の棚(1977)などの撮影(重かった・笑)に立ち会えたことを感謝したい。

藤塚光政

藤塚さんは、ファッションデザイナー・三宅一生さん(1938〜2022)や建築家・安藤忠雄さんなどのクリエイターだけでなく、雑誌の編集者にも信頼されていていて、Casa Brutus美術手帖家庭画報モダンリビングなどに写真や文章を数多く提供されています。自分も数多くの写真撮影現場に同行させていただき、社会人としての考え方、言動、振る舞いなどを教わりました。

そして岡山に帰郷後も、宇野港フェリーターミナルの整備事業に携わった際に藤塚さんから建築家・中川俊博さんをご紹介いただき、安藤忠雄さんの双子の弟・北山孝雄さんと讃岐うどんを一緒に食すというご縁も賜りました。なんという果報者でしょう 😅

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