池川富雄さん と 佐藤正志さん

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1976年から1978年にかけて、25フィートのヨット・鴎盟(おうめい)で太平洋一周。その後、1979年から1985年の期間は、52フィートのヨット・エリエールの船長としてハワイなどを周遊した池川富雄さん

1989年、友人の自作ヨットで松山市に寄港した際、ヨット工房を主宰していた池川さんを紹介していただきました。今後は、富雄さんと呼んでいいですかと尋ねた時、「なんだかお富さんみたいで気持ち悪いなぁ」と苦笑されましたが許されました(笑)。その後、何度かクルージングに誘っていただきましたが、2000年の冬、宇野港から松山への航海に誘われた時の体験は忘れがたい(自分は途中で船酔いして迷惑を掛けてしまいましたが・涙)。アイキャッチ画像は、2005年に彼の愛艇・花丸の処女航海(松山〜大阪)で立ち寄った大山祇神社(三島大明神)でのツーショット 🤣

この時、同乗していたのは、キッチンを担当してくれた池川さんのご子息・真帆くん。この時は、風には恵まれず、唯一フル・セールでの帆走は、因島大橋を潜って南下した僅か1時間だけでした。

処女航海では、松山から宇野までに同乗させていただきました(2005)
花丸@宇野港第7桟橋(2005)

因みに、自分一人で初めてヨットを出港させようとした時、海に漕ぎ出す喜びよりも無事に戻って来られるのだろうかという恐怖感に襲われた経験があります。船長とクルーの守備範囲と責任感には、とてつもない大きな差があると思います。虎穴に入らずんば虎児を得ずの例えの通り、船に降りかかってくる様々なアクシデントに対応できる技量と、判断に全責任を負う覚悟がなければ解らない感覚でしょうか。

花丸進水@アンカレッジ・マリーナ(2004)

真冬の北太平洋を単独で日本からアメリカに渡った馬鹿なヨット乗りは、僕の知る限り世界で2人。僕と佐藤正志さんだけ(荒天帆走)。太平洋をヨットで横断するのは、春から夏にかけて。冬は、いけない。低気圧の墓場だよ。命を落とすよと言って止めたのに彼はやりきった。だけど、あそこは、ケープホーン(南米最先端の海の難所)より怖かったらしいよ。

池川富雄
ハワイからサンフランシスコまで39フィートのヨットを回航する佐藤正志さん(2005)
佐藤さんの自作ヨット・百鬼丸
丸亀港に係留していた頃の百鬼丸(クモノスに改名)

佐藤さんは、長距離トラックで鮮魚を運ぶアルバイトをしながら建造資金を稼ぎ、23フィートの木造ヨット・百鬼丸(ひゃっきまる)を自作。1983年に出帆し世界一周を成し遂げたヨットマン。宮城県塩竈市生まれ。帰国後、1年半ほど逗留していた泉大津から宇野港へ百鬼丸を回航してきた頃に出会いました。その時の一点の曇りもない瞳と頑強な歯並びの口元から発せられる塩竈の訛りに一目惚れし(笑)、3年ほど弊社の仕事を手伝っていただきました。

その間、何度か瀬戸内海の「探検クルーズ」にご一緒させていただきましたが、今治市沖・魚島群島へのクルージングは、良き思い出となっています。多くの事業アイディアが書き込まれていたノートを手には、「人が切り開いた道を辿るのは実に簡単なこと。僕は、パイオニア的な仕事を成し遂げたい」と記されていました。最後に会ったのは、香川県丸亀市に居を構え、ヨットの回航などをされていた頃です。今も元気に過ごされているでしょうか。

花丸の主な航跡

ニュージーランドへ(2007年10月29日~2008年1月24日)
2006年の日本一周シェイクダウンに続く航海で、松山を出港して大阪、和歌山、父島、グアム、バヌアツ、ニューカレドニアとアイランド・ホッピングをしながらニュージーランドを目指す(2008年2月28日、追記)。

日本へ(2008年3月17日~5月21日)
サイクロン・FUNA の動静を見極めて、Opua Marina を出港予定。5月4日、小笠原の父島に入港。破損したスプレッダーを修理中。5月20日、04:15 柳原漁港に到着!(2008年5月21日、追記)。

世界一周(2017年6月5日~2021年5月26日)
松山のアンカレッジ・マリーナに無事帰港! 新型コロナ禍で出迎えに行けなかったけれど一時が万事で凄すぎる! 愛艇・花丸を建造出来るサイズに設計された工房の建設からスタートさせ、ヨット乗りとしての大志をきっちりと実現させた池川さんとパートナー・和江さんの献身。素敵です(2021年5月28日、追記)。

自由とは、自分の持ちうるすべての知力を自由に行使すること。その自由にとって、私は訓練と職人わざの両方が不可欠なものと考えている。

ベン・シャーン
建造中の花丸@池川ヨット工房(2003)

閑話休題

船が岸壁を離れ港を後にするとき、汽笛で長音3声を吹鳴する習慣があります。 1番目の吹鳴は海の女神(海の掟を守ること)への誓いの表明、2番目の吹鳴は天空の神(良風の恵みを乞う)への忠誠の表明、そして最後の吹鳴は恋人や妻子への別れの合図です。帆船時代の習慣で、当時は角笛を吹いていたようですが、今もなお続いている船の習慣。洋上で僚船が互いに行き過ぎるときも吹鳴します。

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