河井寛次郎記念館

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河井寛次郎(1890〜1966)

文化財の宝庫・京都市には、柳宗悦濱田庄司バーナード・リーチらと共に民芸運動にも力を尽くした陶工・河井寬次郎が過ごした住宅と仕事場を公開した河井寬次郎記念館があります。彼の著作物などから知りえた迷い、発見、実験を繰り返していた初期から、愛情、信念、悟りを感じさせる晩年までの創作姿勢を少しでも感じられたらと時々訪ねています。

河井寛次郎は、1920年に5代目・清水六兵衛より陶窯を譲り受け独立。1937年のパリ万博、1957年のミラノ・トリエンナーレ展でグランプリを受賞(当時、高島屋の宣伝部長をしていた川勝堅一が本人に内緒で応募)し世界にその名を知らしめました。

記念館の建物は、作陶をはじめ、木彫、文章を通じて良き精神を追求した聡明で心豊かな生活を追体験できる空間です。囲炉裏のある部屋や中庭、茶室、工房などで佇んでいると、まるで自宅にいるように和んでしまいます。島根県能義郡安来町の棟梁の次男として育っただけに自ら設計、兄・善左衛門の手によって1937年に建てられたそうです。没後7年の1973年に記念館として開館。館長は、一人娘の河井須也子さん。主任は、孫にあたる荒川洋子さん。

河井一門の作品を長年扱っている近所の骨董店主から、「最近、記念館で盗難が頻発しているのですよ」と告げられ、なんだか河井寛次郎さんの体温が奪われていくような気がして、とても寒々しく思いました(2004年5月31日、追記)。

NEWS! ご案内をいただきました 🤣

特別展:陶技始末(終了)
    河井寬次郎の陶芸
会 期:2022年6月18日(土)~8月21日(日)
入館料:1,100円(一般)
会 場:中之島香雪美術館
    大阪市北区中之島3-2-4 中之島フェスティバルタワー・ウエスト 4階
    06-6210-3766

河井寬次郎(1890~1966)は、近年の「民藝」ブームにより、注目が増している陶芸家の一人です。河井は島根県安来に生まれ、東京高等工業学校窯業科(現東京工業大学)に入学し、窯業を学びます。1914年に京都市陶磁器試験場に入り、技手として約3年間の勤務後に独立。同9年に五条坂の窯を入手して「鐘溪窯」と名付け、以後没するまで京都で活動しました。

初期は様々な釉薬の技術を駆使して、中国の古い陶磁器をモデルにした作品を発表します。ところが、思想家・柳宗悦との出会いをきっかけに、柳・陶芸家の富本憲吉・濱田庄司との連名で、1926年に『日本民藝美術館設立趣意書』を刊行します。「用の美」に即した素朴な味わいの作風に大きく転換し、民藝運動の中心的人物として活躍。戦後は用途をもたない陶彫(とうちょう)による造形作品を展開しました。

本展のタイトル「陶技始末」は、河井が各地の窯場を訪問した際の実見録を、民藝運動の機関誌『工藝』に寄稿していた連載のタイトルです。これまでに紹介されていなかった河井の陶芸作品を中心に、創作活動の始まりから終わりまでをたどり、併せて、河井を支援した関西の収集家たちによるコレクションも紹介し、計約100点を展示します。

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